みぐるみん

身ぐるみ脱ぎ捨て自由に生きる。おひとり様引退ナースが人生でやり残したことをやるために創った空間です。

町内会ってそもそも。。。

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町内会って、そもそもなんなんだろう?

海沿いの小さな町の、爆音町内放送を聞きながらふと思った。

聴覚過敏の私にとっては拷問でしかないのだが、

慣れた住民にとってはそれが自然になっているのだろう。

分かってくれるのは近所の飼い犬たちだけだった。

 

7時・12時・17時の3度、爆音でチャイムが鳴る。

チャイムに続いて、資源ゴミの回収日のお知らせとか、

「今日は定期清掃日です。みんなの町をきれいにしましょう」などなど。

決まって遠吠えをする犬たちと、

「だよな、お互いキツイよな、わかってくれるよな」と、心の中で慰め合う。

そんな見えない連絡網で、肩身の狭い森羅万象仲間と励まし合っている。

 

実家に引っ越してから、この町内会という不思議な組織を観察していた。

高齢の父は、まだまだ自分たちが主導でやりたい願望が強い。

遠目での見守りや安全確認は必要で、何かとヒヤヒヤすることも増えているが、

町内の活動ができるほど、まだ自分は元気なのだというアピールを、

私がとやかく干渉する必要はない。

ただ間借りして療養させてもらっているだけの身としては、

余計な口出しも手出しもせず傍観している日々だった。

 

ガラケースマホをなんとなく持っていても、やはり直接伝達が主流な彼ら。

当然だと思う。私もIT音痴で、若者にお手数おかけすることが多い。

親世代のアナログ手法を奪ってはいけないことぐらいはわかっている。

私自身もたちまち困ってしまうだろう。

高齢の単身者にとって、町内放送は暮らしの情報源として欠かせない。

災害時の緊急放送が町民の救いとなったことも事実だ。

東日本大震災で、最後まで町内放送のマイクを離さなかった方の生き様に、

誰もが心動かされたはずだ。ご冥福をお祈りします。

世代が変わり切るまでは、残してあげなければならないシステムもある。

 

耳がツライことは特異体質ゆえやむを得ないので(ワンコたちと耐えます)

町内放送のことはさておいて・・・。

「町内会」そのものの存在って、なんなん??

素朴な疑問がどんどん膨れ上がってくる。

今後、腑に落ちないものを引き継ぐなんて気持ちが悪い。

これからを生きる子供や若者に「こういうしきたりだからこうやってね」と、

言い放てるほど、大人は立派なのだろうか?

本当に納得して行動しているのだろうか?

 

同じ血筋が同じ土地に何代も住み続けているようなこの地域。

同じ苗字が向こう3軒両隣り、ひしめき合っている。

この地域担当のヤマトさんや佐川さんには、神すら感じる。 

屋号という古い家の呼び名で、今も呼び合う高齢者たち。

優しそうなおじいちゃんが、代々地元の人以外の方を

「よそ者」と普通に言っていたのを耳にしてゾッとしたことがある。

無理もない。町内会の前身を辿れば、戦時中の隣組

国が支配しやすいよう国民をある程度のブロックに分けて束ねておくことなのだから。

自治警察っていうやつだろう。みんなと違うことをしていればスパイ扱いで、

村八分というのも起こりやすい。支配者側にしてみれば楽なシステムだ。

上級国民は直接手を汚すことなく、国民同士で出る杭を叩き合ってくれるのだから。

親世代では、結婚するときに相手方の評判を近所の有力者に聞くという、

儀式みたいなことをしていた。「聞き合わせ」というらしい。

つまり、近所の目・世間体をどう作り上げておくかが、

人生を左右する最重要事項だったともいえる。

恐るべし最強の同調圧力

 

いつまでもいじめがなくならないこの国。

なくなるどころか日増しに陰湿に残酷になっていく現実。

いちばん苦しいのは子供や若者だ。

発達障害自律神経失調症、メンタルに問題を抱える国民は急増している。

今時の若者は・・・もういい加減うんざりのセリフだが、

軍国主義の延長線上で、根性論を無理やり当てはめるのは

そろそろ限界ではないだろうか。

群れの掟を刷り込まれた大人たちの本質が、

これから少しづつ露呈していくだろう。

 

わからないまま従ってきたいろんなこと、

嘆くだけだったことも、自分なりにちゃんと調べて選んでいこうと思う。