みぐるみん

身ぐるみ脱ぎ捨て自由に生きる。おひとり様引退ナースが人生でやり残したことをやるために創った空間です。

ちょっとのびてます

今日はちょっと息抜き。。。

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昨日でブログ2週間連投無事達成。

内容はさておき、とにかく毎日書いてみることに慣れる期間だった。

まだまだこのままコツコツと、うちのクサガメのお嬢さんのようにゆっくりと。

パソコン操作そのものがヨチヨチ歩き。続いているだけでよしとする。

 

 

どうってことない日常でふと、感覚過敏で良かったと思うことがある。

このカメの「きっちゃん」は、甥っ子が幼稚園の頃にもらってきて置き去りになった子だ。

その甥はもう20歳代半ばほどになる。赤ちゃんの頃からずっと約20年。

近くに放してやれる良い環境があれば良いのだが、田舎でも自然は減りつつある。

この箱入り娘状態でいまさら突き放すなんてできない。

本当は森羅万象に生きるのが彼女にとって最善とわかっている。

我々人間の都合で、どれほど他の生態系に迷惑をかけているだろうか。

「きっちゃん」はありのまま瞬間を生きている。

去年の寒波で冬眠中に凍りかけて私を右往左往させた大切なきっちゃん。

庭の散歩中「きっちゃん、ほら可愛いカタツムリさんやね?」

慣れないメルヘンな声かけをした矢先、豪快に丸かじりしてしまったきっちゃん。

(飼い主としてお恥ずかしいがカタツムリを食べることを知らなかったため衝撃的だった)

定番のカメキチと名付けられ、あれほど毎年何度も産卵しているにも関わらず

ずっとカメキチのままだったきっちゃん。少しは女子っぽく呼んであげたい。

「カメきっちゃん」→「きっちゃん」へ。

 

この子のちょっとした表情を読めるのは感覚過敏のおかげだった。

刺激の強すぎる世界といったん距離を置いてみて初めて気づく。

感知する世俗の刺激や情報が多すぎるのは確かに苦しい。

しかし瞬間にとらえる感覚が人一倍豊かなんだと思えば濃くてお得な人生だ。

そう思えない日もあるからこそ、そう思える日は嬉しい。

自分だけの小さな引きこもりの世界だけれど

森羅万象がとんでもなくカラフルで息を呑むほど地球は美しい。

「始まりと終わり」という地球上のシステムに乗っかって、

時系列の錯覚に身を委ねたまま生きていると見えない美しいものが、

ちらっと垣間見える瞬間がある。

残酷な暗闇がその美しさを更に際立たせてくれる。

月並みだが、光と闇のコントラストというやつか。

それを味わうことが生まれた意味のひとつかもしれない。

自分らしい理念を育てるために私たちは体験をしにきたのだろう。

身ぐるみを脱いだとき、唯一残る自分を進化させるために。