みぐるみん

身ぐるみ脱ぎ捨て自由に生きる。おひとり様引退ナースが人生でやり残したことをやるために創った空間です。

やっぱりきた地震

2021年6月19日午前7時39分。

寝坊してぼんやりデスクにつき、タブレットをいじっているとミシミシグラグラ…。

数秒でおさまったような気がした。毎朝習慣になっている語学アプリの勉強途中だった。

一区切りできるところまで進めたかったため、地震速報が気になりつつ学習続行。

たぶんあの感じは震度2ぐらいだろう。昔ほどではないがだいたい当たる。

一度震度7を振り切る体感を味わってしまうと身体中が地震計みたいに反応する。

震源地は愛媛県南予・最大震度4・マグニチュード4.7・震源深さ40キロ。

我が地域では…震度2ドンピシャ。

 

地震予知能力があるわけではなく、生死に関わる恐怖を体験して獲得した野生動物に近い勘。

昨日はなんともいえない気持ち悪さがあって、たぶん雨のせいだと思っていた。

首が張るような頭のキンキンした感じだった。パソコンをいじっている時間が長かったせいもある。

以前は平衡感覚がおかしくなってふらふらする感じが多かった。

なんとなく肌で感じとる空気の質感と風の吹きかたの不自然さで、おやっ?と思っていたら、翌朝やっぱり…とか。

もう当たり前すぎて気にも留めなかったし、体感できる地震は久しぶりで忘れていた。

さっきのでまたこのボロ屋の寿命がいくらか縮んだだろう。その程度で済んで幸いだ。

具体的な被害状況が分からないだけになんともいえないが、物ひとつ動かないままだ。

ざっと調べたが大きな被害はなさそうでホッとする。

ふと目に留まったのは昨夜深夜から、あちこちで停電が起こっていたということ。

そういえばYouTubeのクルクルが多くてイラッとしかけたっけ。

 

災害の備えを真面目に始めたのはここ数年だ。

あの極端にデカイ規模の災害を体験してしまうと、人間の浅知恵でいくら挑んでも

自然の摂理に身を委ねるしかない無力感を捨てきれなかった。なるようにしかならないと諦めていた。

1995年1月17日阪神淡路大震災。たまたま火災の被害が一番ひどかった地域にいた。

上着を羽織って靴を履くのが精一杯で全てを置いてきた家が、炎に包まれるまであとわずか。

マンションの11階からは被害の全貌が見渡せたが、その瞬間に私が感知したのはオレンジの炎とガスの臭いだけだった。

部屋中の家財道具に埋もれたルームメイトを連れ出して、

脇目も振らずに非常階段を駆け降りる。運良くドアはすんなり開いた。

たまたま二人とも翌日日勤で一緒に在宅していたことが救いだった。

一人だったらあんなに冷静でいられなかった。

あのガスの臭いだけは一生忘れられない。

螺旋階段で11階から転がり落ちるように降りた。

映画でよく見るガス爆発のシーンが脳裏にチラつく。とにかく建物から離れて広い屋外に出ることが最初の行動だった。

地上に降りると、向いのたばこ屋の屋根が地面の上に置いてある感じで存在していた。

メガネを持ち出せなかったルームメイトは、ぼんやりしか見えない恐怖を味わっていた。

あの独特なシーンと静まり返った空気感が寒い1月のツンとした朝の空気と混ざり合って、

頭に血が昇ることもなく気味が悪いほど落ち着いていた。

私とルームメイトは3日間近所の避難所である小学校で過ごした。

日赤の医療班が到着するまでの間、近所の薬局や整体院の方と協力し合い物資をかき集めて救護所を作った。

家屋の下敷きになって救助された高校生の女の子が運ばれてきたが、

もう息はなく瞳孔も開いていた。

おそらく心肺停止してまだ間がないのだろう。眠っているようだった。

私とルームメイトは交代で心臓マッサージと人工呼吸をした。

足元にしがみついて助けを求める母親のために、遺体だと分かっていても躊躇なくやった。

彼女が息を吹き返すことはなく、家族らしき人が来て母娘を車に乗せて立ち去った。

誰もなにも言わなかったが分かっていた。あの状況で救助できたことがあるとすれば、

いつか少しづつ母親が立ち直る過程で、最後までみんな助けようとしてくれたという

記憶を残してあげることだけだ。救えなかったからせめてそれだけでも。

「この子まだ高校生なんです。助けてやってください」母親の絶叫が忘れられなかった。

若者と子供を失うのがいちばん耐えられない。

私の友人は救助した近所の赤ん坊の遺体を抱いたあと相当な期間病んでいた。

別のレスキュー隊員の知人も子供の救助だけは狂ったように我を忘れるとよく語っていた。

 

なぜか脱線してしまった。芋づる式に記憶がひっぱり出されたのだろう。

そう、私は何度も消えたいと思いながらもこうしてまだ生きている。

女子高生のことは毎年1月17日に必ず思い出す。

彼女が生きたかった今を私は生きている。粗末にできないと毎年思う。

なのに弱音を吐くこともある。

もう二度とあのレベルの災害は起きてほしくない。

だからこそ災害備蓄をするようになった。避難用のグッズを持ち出せるレベルなら

まだ余裕があるから。その程度で済むように願かけしているのかもしれない。

やたらと買い込んだ粉モノ。期限ギリギリの「はったい粉」を米粉と合わせる。

口がさみしいときパパっと作れる定番おやつ。

ビニール袋で材料をモミモミしてその袋をディスポの手袋がわりにして生地を伸ばし、

切れ目を入れてトースターで焼くだけ。

見栄えは悪いがサクッと美味しい。砂糖抜きでレーズンと共に。

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 あっ…おやつどころじゃなかった。

何より大事なのは伊方原発再稼働中止ですよね。当然。

もう人災はこりごりだ。