描きたかったもの
昨日の記事で朝焼けの色を思い出した。光のスペクトラムのこと。
Spectrum(スペクトラム)とは
『意見・現象・症状などが、あいまいな境界をもちながら連続していること』
大好きな朝焼けも夕焼けも虹も。あの曖昧な境界線がいい。
こうして念願の「書く」作業をしているとどこからか湧き出してくる思考が止まらない。
私は極端な二面性を生きていた。言葉に関しては特に。
実家ではほとんど喋らない時期を過ごし、社会に出た反動で嫌なぐらいおしゃべりになった。
それぞれ各20年サイクルみたいにプツッとスイッチを切り替えるように。
言葉はツールだ。道具のひとつだ。言葉とコミュニケーションは社会で役に立った。当然だ。
しかし言葉は含んでいるものが複雑すぎる。そのカオスを楽しめる間はいいが、飽きたり疲れてくることもある。
ちょっと小脇に置いて、より単調なツールを使って休みたいという時期もある。
もともと父親がほとんど口を聞かない人だった。家族に対しては挨拶もしない。
いただきますやご馳走様を聞いたことがない。
いつも黙ったまま機械のように同じことを同じ時間に同じ手順できちんとこなす真面目な人だった。
明確な言葉として指示があれば反応するが、ないままだと永久に同じパターンを繰り返す。
言葉以外のツールには無反応。言葉の抑揚や表情などを読み取るオプションはなく、嫌な時眉間にシワを寄せるだけ。
この人は生身の人間なのだろうかと、本気で機械人間説さえ疑ったこともある(笑)。
何を考えているのかわからないため、家族は常に顔色を伺い推測するしかなかった。
言葉は万能ではないが完全に無視しすぎてもこうなるから、言葉との付き合いは本当に難しくややこしい。
こうして書き留めると客観的に眺められる。
言葉というツールに翻弄される自分の愚かさも見えて、それを隠さないことで越えようとする自分の前向きさも見える。
読み手のことを考えた文章には程遠いが、これも学びの過程だと捉える。
書くことはややこしくて楽しい。ややこしさを自覚するためにも触れていたいと思う。
今の自分は言葉でのコミュニケーションを休止している時期だと思う。
文字に起こすのはいいが口から発する機能が停止中。妄想の物語である『こびとパン』の店主と同じだ。
言葉を寝かせていると、普段ないがしろにしていた別のツールが表に現れる。
父のダンマリとは異なる沈黙の中には、五感と五感を超えたツールが存在する。
カメのきっちゃんや野鳥やカタツムリや草花や…。対話に言葉はいらない。
この沈黙時期の後、再びおしゃべり全開のサイクルがくるかといえば…こない。
もう同じパターンはこない。私がそれを自覚してしまったから。
二極間を右往左往する世界に疲れた。比較対象によって自分との距離を図ることが普遍の原理なのか?
そもそも普遍の原理なんてなくてもいいような気もするし。
「普遍」を辞書で調べる。
「全てのものに当てはまるもの・共通するもの」「特殊の反対」「宇宙や存在の全体に関わっていること」。
宇宙や存在の全体に関わるという捉え方は夢があっていいなと思う。
辞書では「普遍」もまた「特殊」との対比で記され、陰陽の世界が常識として根付いてきたことを実感する。
話はどんどん迷走していく(笑)
ところが全てが迷走ではない。無言期間とおしゃべり期間に話は戻る。
私はここに新しい3番目の概念を受け入れようと思う。そのためには、あの光のスペクトラムが必要なのだ。
曖昧な境界線をもちながら連続するパターン。
それは固定された中間とは違う。いい塩梅という方が近いかもしれない。
そんなこととっくにみんな知ってるし、あんたみたいに極端な迷走しないまともな人達ならできてることでしょ?
アンケートだって「はい・いいえ・どちらでもない」使ってるし。新しい発見みたいにいうなよ迷走アデリーペンギン。
そう思われるだろう。その「どちらでもない」がクセものだったりする。
グレーゾーンはあって当然だが、そのグレーさえもガッツリ固定された感じがするのは私だけだろうか?
どちらでもないという「貴重な曖昧さ」さえ息苦しく固められている気がしてならない。
ハイ中間ですね。もうそれ以上考えなくてよろしい。
冷酷に切り捨てられる感じで思考停止に入らざるをえなくなる私たち。特に日本人という思考停止人。
曖昧な境界線を連続させることとは、本質的な自由度が違うんじゃないかと。
私がもう一度取り戻したいのはベランダからの朝焼けという現象だけじゃない。
あの絶妙な自由自在のグラデーションという概念を望んでいるのだと思う。
言葉にできない息を呑む美しさを表現するために人は絵を描く。写真を撮る。
言葉に依存しないで生きることはできる。
表情やジェスチャーで伝わることがあるし、簡単なイラストは文字として最も優秀ではないか。
私はいつも賢くならないといけないと空振りばかりしてきた。
見栄を張る大人の背中をマネして、言葉を駆使して必死で何かを伝えようと頑張っては凹んでまた這い上がる繰り返し。
母は…(毎度母のことばかりで恐縮だが、自分の中でくすぶっているものは出してやりたい)
これといった既存の学問に慣れ親しんだわけでもなく、ごく普通のおばちゃんだった。
どう転んでも心に残る名言を残すタイプの人ではない。
だが、亡くなった後に彼女の遺したメッセージの膨大さに気づいた。
日記や手紙の類も残っておらず、お世辞にも上手いとは言えない
かろうじて読める字で身体に良い食材のレシピを書き殴っているノートが数冊だけだった。
遺品の中にあったのが冒頭の写真のスケッチブックとクレヨン。
ドキドキしながら開いてみたが白紙のままだった。
クレヨンは使った形跡がある。私には絵を描く趣味はなかったが、なぜかこれは捨てずに取ってあった。
繊細さには欠けるが、カラフルな48色クレヨンは母にとって光のスペクトラムだったのかもしれない。
彼女はいったい何を描きたかったのだろう?
その答えが今、わかった気がする。