みぐるみん

身ぐるみ脱ぎ捨て自由に生きる。おひとり様引退ナースが人生でやり残したことをやるために創った空間です。

写真との新しい付き合いかた

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新聞配達員さんのスーパーカブの音が聞こえてから20分ほど経った。

この音が昭和の歴史博物館的な思い出になるまでそう時間はかからないだろう。

新聞がメイン情報源の世代は10年も経てばいなくなっている。

昨日の早朝に産卵を終えたカメのきっちゃんは爆睡しているに違いない。

日中はまだ土まみれでぼんやりしていて、何度も見に行った。

決してもう若くない彼女は体力消耗も激しいと思う。

 

あまりに反応が鈍いとつい甲羅をコンコンとノックしてしまう。さすったぐらいでは動かないから心配なのだ。

「もぉぉぉ…なんなん?うるさいです…」と、めんどくさそうに目を開けるのを見てホッとする。

日没直前に完全チャージできたようで、

水を飲んだあと猛烈なスピードで私めがけて突進してきた。間違いなくご飯の催促。

ここ数日間ほとんど食べることそっちのけでソワソワしていた。

突然食べるという行為を思い出してスイッチが入る。

気持ちがいいくらい食べまくって定位置の寝床に落ち着いた。一区切りつく。

昨日はほぼ一日曇り空だった。

朝型生活シフトチェンジのとっかかり日だったためフットワークが掴めない。

昨日は記事を書いた直後にたまたまきっちゃんが写真ネタをプレゼントしてくれた。

さて明日からどうしようか。

写真にこだわる必要はないが、やはり一枚でもタイムリーな映像があると

自分なりに情熱を注いだ実感が湧くのだ。

写真は昔から多少興味があった。叔父がカメラマニアだった影響もある。

マチュアでありながら自宅には写真を現像するための暗室を持っていた。

今のようにデジタルカメラなどない時代。

写真屋さんで現像してもらいネガフィルムを保管して焼き増しする…などという

気の遠くなるような過程を経ていた時代がある。

職場の行事で撮った写真は回覧板のように回して焼き増し希望を募り、

ネガと希望枚数を書いたものを写真屋に持っていって

数日後に受け取りに行って焼き増し代金を支払う。

たいてい専用のペラペラな写真用ナイロン袋がサービスでもらえる。

希望者ごとに写真を小分けして請求代金を書いて、

休憩室の個人用レターボックスに配布する。

「一枚につき〇〇円」で配った全員から現像代を徴収するところまで雑務は続くのだ。

ああ…あの寿命も縮まるクソ忙しい業務の合間に何度この作業をしたことか。

スマホで全てオッケーの今は天国だ。

叔父は電気屋を営んでいてもともと家電が好きな人だ。

母の兄だけあってアホなことばかり言って子供のように趣味に没頭し、

アホな要素を受け継いだ私のことも可愛がってくれた。

母と叔父はいつも一緒に海で遊んだ。家の目の前が海だったらしく、

イタズラばかりして母は何度も自宅の2階の窓から海に転落していたという。

二人は第二次世界大戦中も砂浜を駆け回って鉄砲の弾を拾って遊んでいた。

戦後は米兵から生まれて初めてチョコレートをもらって食べ、

濃厚すぎてコントみたいに鼻血を噴いたという昭和初期のクソガキどもだった

「兵隊さんもみんな国に子供さんがおるからか、私らのこと可愛がってくれたんよ」

母はあっけらかんとそう言っていた。

叔父が遊びにくるとワクワクした。しょうもない冗談ばかり言って、

母が入れた安いインスタントコーヒーを美味しそうに飲んで

ニコニコしながらさっさと帰っていく。

叔父は今も健在だ。親戚のうちで唯一会いたいと思える人だが、

母の法事以来会っていない。

叔父独りなら訪ねようと思うだろうが家族と同居しているため気を使う。

私にとって「コーヒーと写真」といえば、そのおバカな叔父なのだ。

私自身も一番安くて手頃な一眼レフは昔から持っていた。

Canon ioss kissから始めてNikonの…なんだっけ?

…忘れたが10万ほどで望遠レンズも揃う程度のオモチャだった。

SONYの古いパソコンVAIOと相性がいい

サイバーショットという初期のデジカメを手にしてからは、

現像という手間から逃げてしまい使わなくなってしまった。

一台は友人にあげたが、カメラ庫の中で眠っているものもある。ほぼインテリア。

頻繁に通っていたお気に入りの雑貨屋で、

オーナーがヨーロッパで買い付けたクラッシックカメラに一目惚れ。

二眼レフのローライレフレックスを手に入れた。

レンズの保存状態がいいとカメラ屋さんに褒められたローライだが、

ファインダーを覗くと独特のワープ感があってちょっと乗り物酔いみたいになる(笑)

情けないことに私は三半規管が弱い…。

上から覗き込むタイプで左右反転する像を長時間見るとオエッとなる。

結局インテリアと化してしまった。

本革のカメラケースまで保存状態が良いため、欲しい人に出会ったら譲ろうと思う。

写真の才能があったわけではないが、ご縁だけはあった。

旅行の思い出とか日常のひとコマ、物や風景。

処分していなかったら何百枚…いや千枚単位あっただろう。

今では小さなアルバムひとつぶんにも満たない量しか残っていない。

それももうデジタル化させればスッキリするだろうが処分しても構わない。

意外にそのへんの執着がないのだ。

なぜかわからないがご縁があって残っていたというだけだから。

肉眼で瞬間に見るものの美しさには敵わない。それは承知している。

だから失ってもあまり辛くない。しかし写真をブログにつけたい欲求は強い。

ぐるりと回って元に戻ろう。

早朝執筆に使える写真を調達する工夫が必要になったということだった。

そう考えていた矢先、日没の頃に一瞬晴れ間がさした。

西陽が当たる唯一の窓から差し込む光をなんとなく撮ってみる。

なんの準備もなく部屋も普段のまま。撮り出すと夢中になった。

書いている時と同じでいつも我を忘れてしまう。

自分が気づかないだけで、答えはいつだって目の前に転がっていた。

この空間もやはり宇宙空間みたいに

「無ではなく有で満ちている」と説いている方もいる。

そう捉えるほうが辻褄が合う。私はその説を信じたいと思う。

が本気で見ようとするならば、それはちゃんと現れてくれる。

もう考えるのはやめた。

無計画で降ってくるものを日々その都度キャッチすればいい。

きっちゃんはニワトリほどしょっちゅう卵を産んでくれないのだ。

外はすっかり明るくなった。

昨日降ってきた写真を貼り付けて、そろそろ完成としよう。

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