みぐるみん

身ぐるみ脱ぎ捨て自由に生きる。おひとり様引退ナースが人生でやり残したことをやるために創った空間です。

定住にこだわらない『新しい住』を考える

これからの『住まう』を考える

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はじめに

集中豪雨の峠は越えただろうか?

災害まみれのこの国で、

実家のボロ屋がいつまで耐えられるか。

防災だけの観点ではない。

昭和のゴミ屋敷・物屋敷と

令和のミニマリストが混在する不思議な時代

時代に沿った「住まう」ってなんだろう?

 

日常の合間でふと思う。

超高齢化の人間と老朽化で空き家と化すマイホームたち。

引越し歴8回、不動産売買経験あり。現在実家の後始末係。

衣食住ならダントツ「住」優先の私が、

「未来の住まいかた」を考えてみた。

定住という暮らしはまだ常識?

多拠点生活

2019年からブームとなったライフスタイル。

かつて別荘は金持ちだけの優雅な特権だった。

今では週末小屋暮らしや週末農園など、

豪華な別荘を持たない庶民でも楽しめるようになった。

「田舎暮らし」のブームとも重なり、

子育てを終えた夫婦が定年後の年金と退職金で豊かな第二の人生!

…みたいな雑誌が本屋に山積みだった記憶がある。

完全移住よりは失敗が少ないだろうなぐらいの印象で、

時間と金銭的ゆとりのある人たち限定に思えた。

ノマド生活

ITの普及に伴いオフィス以外の場で仕事ができる時代になり、

ノマドワーカーと呼ばれる人々も珍しくなくなった。

ノマドとはもともと遊牧民の意味。

IT音痴の私から見ると後光が射す人たちだ。

時代の先駆者的な自由で軽快でキラキラした存在感。

自分には無関係で映画の主人公みたいな生き方だと思っていた。

アドレスホッパー (Adress Hopper)

アドレス(住所)をホッパー(転々とする人)という造語。

『固定の住居を持たず、国内外の拠点を移動しながら暮らす』生き方。

2019年3月〜4月頃にテレビで多数取り上げられてブームになり、

2021年現在も増え続けている新しいスタイル。

提携している全国の施設で住み放題。

定額制(サブスクリプション)例えば1ヶ月4万4千円で、

光熱費・WiFi・家具家電・アメニティなど備品使い放題のプランがある。

「住所不定」「ホームレス」のレッテルを貼られるも、

コロナウイルスによる仕事や暮らしへの影響で、

メリットを見直す人も増えているようだ。

特に若い世代はITに強く、パソコン環境さえあれば生きていける。

コロナのリモートワークの影響以前に、

すでに海外ノマド生活を成功させている若者は多い。

35年の住宅ローンを抱えた

普通のサラリーマン中高年夫婦からすれば、

ほんのひと握りの若者が手に入れた特殊な世界でしかないだろう。

私もそんなオバサンだった。

定住しない暮らしのメリット

引越し貧乏という定番の言葉があった。

賃貸契約に伴う諸経費はあなどれない。

敷金・補償金に不動産屋への手数料。

保証金の損失が出ないサイクルで引っ越したいが、

仕事の都合上計算通りにいかないこともある。

やっぱりマイホームって羨ましい。。。

かつては誰もが抱いた幻想。

月々のローンは毎月の家賃と同じ!

同じ金額を払うだけで自分の資産になる!!

そんな誘惑が誘惑だと思えない時代もあった。

持ち家があるだけで社会的信用が増すとか、

住宅ローンの審査に通るという時点で信用があるとか。

社会的信用とはなにかもわからないまま、

つかの間の優越感に浸れるのは最初だけ。

安定とされる職についてマイホームを持っても、

これからの時代はなんの自慢にもならない。

私にはノマドワークやアドレスホッパーの経験はない。

古いパターンでいう賃貸VS分譲の比較に過ぎないが、

放浪と定住の両者を経験した感想をあげてみた。

定住しない暮らしのメリット

  • 生活をリセットできる柔軟さが身につく(執着をしない)
  • 所有の多少に関わらず自分の持ち物を把握できる。
  • 自分の価値観を確認するきっかけができる。
  • 環境の変化に適応するのが上手くなる。
  • 合わない環境や人間関係と距離を保てる(逃げたり避難ができる)
  • HSS型HSP気質の人に向いている(感覚過敏で繊細なのに飽きっぽくて刺激を追う。相反する資質を持つ特殊なタイプ)…私自身に当てはまる。

古いシステムでさえ環境をこまめに変えるメリットはあった。

家を所有することが立派とは限らない。

たとえ現在賃貸暮らしであっても、

実家で親と同居して家賃を節約していても、

ニート呼ばわりされても気にすることはない。

昭和の価値観で見栄張って高額ローンを組むエリートよりも、

不況の間は苦しいが実家で家賃を浮かす若者の方が、

柔軟に賢く生き残り戦略を立てているだろう。

一時的に依存したとしても親は不死身じゃないし、

動くべき時期が来たら飛び出せばいいだけだから。

私が不動産を所有して悩んだこと 

私が購入したのはマンションだった。

固定資産税に年間約14万円、

管理費・修繕積立費が年間約28万円。

住宅ローン抜きでも最低限これだけは必須。

災害が頻発し、消費増税ぶん修繕積立費は値上がり。

実質財産だったのはオーシャンビューだけ。

定住の縛りは思った以上にキツかった。

放浪癖のある私だからそう思うのかもしれない。

移動がないため所有物も自然に増えてしまう。

所有欲がいつの間にか強くなり、

終の棲家(ついのすみか)とこだわるほど

失う恐れと執着の餌食となる。

実家と折り合いが悪かったこともあり、

自分だけの城・逃げ場を失うのが怖かった。

住む場所への執着が私を悩ませ不安にさせた。

金銭的な縛りよりも遥かに恐ろしかった。

崩壊したマイホーム神話

自然をひたすら破壊した報いだろう。

この小さな島国の限られた土地に、

無意味な建築物がどれほど多いことか。

憧れのマイホームも空き家と化し、

最悪事故物件にでもなれば買い手もいない。

私は50歳代シングル子なし。

突然ひとりで亡くなる可能性も当然ありだ。

共同責任の心理的圧迫が大きいマンション。

正直辛かったが手放してホッとしている。

実家のボロ家は私の代で終わらせないと持たない。

解体の費用だけ温存しておけばいい。

父の介護の問題もあり、

災害頻発期間は井戸の確保・管理のためここにいる。

体調を崩して社会貢献できない今の私でも、

せめて農地と水源の確保役ぐらいはできる。

いざというとき都会暮らしの友人知人を救えるからだ。

父の時代を終えてひとりになったら、

定住しない次世代の生き方を実践に移すつもりだ。

安定のマイホーム神話は終わったが、

新しい住みかたは無限大(((o(*゚▽゚*)o)))♡

定住しない暮らしが選べる社会に向けて

私のような風来坊願望がない人も多い。

深刻な災害で定住不可能になる場合を除き、

変化に適応できない人や高齢者や病人が、

安心して定住できる区域も必要だ。

定住システムを叩き潰したいわけではない。

移動可能な希望者が異端者扱いされず、

自由に暮らせる社会を望んでいるだけ

国の政策自体が変わらないと、

全体に浸透しないのはわかっているけれど、

妄想であっても夢を見るのは私の勝手。

Don't give up your destiny!

私が選んだ妄想計画

すでに少数の先駆者が実践していて、

斬新なオリジナルではないのだが、

自分なりの理想を考えてみた。

予算の問題で現段階では手が出ない憧れが、

こちら『タイニーハウスジャパン』さんのトレーラーハウス。

動画を偶然発見してからずっと胸がときめくこのお城。

こびとサイズの自分にとってはワンルームマンションに匹敵する。

しかし魅力はなんといっても、

動く!動く!動く〜!

ぱっと見がトレーラーハウスっぽくないためか、

動いて当たり前なのに感動する。


www.youtube.com

現在購入活用されている方々は、移動式のショップにしたり、

家族でのレジャーキャンプ用という適切な使い方をされている。

サイズによるが、小さなものなら牽引免許なしで普通乗用車で移動ができる。

私は運転できるが今の体力に自信が持てないため、

若い家族みたいに長距離のレジャーで使おうとは思わない。

「あんたみたいなひとり者のオバサンが、

ろくに使いもしないのに欲しがってどうすんの?」

いやいや、これは私の最大の基本的欲求を満たしてくれるのだ。

うちの実家は敷地だけ無駄に広い。

田舎では金持ちじゃなくても土地だけは安いから広いのだ。

今のボロ屋がダメになったらリフォームも新築もしない。

そんなゆとりはない。更地にするだけで破産するかもしれない。

設置式のログハウスでもいいのだが、

移動式なら災害時、運が良ければ家ごと避難できる。

日常でも陽あたり具合で家の向きを変えられるし、

ちょっとしたガレージっぽい囲いの中に納めれば、

台風や豪雨もしのげるだろう。

このフリースタイル感が最高。

トイレと風呂はなんとかしないといけないが。

最終的には燃やせて廃棄物を残さない。

作り手の環境に対する配慮も尊敬に値する。

なんなら棺桶がわりに丸ごと燃やしてもらってもいいが、

葬儀のシステム全般が改善されなければ無理な願望だ。。。

大人が自由意志を持ち続けなければ、

子供たちの未来はない。

国は滅んでも国民は残る。

だから妄想し自由に計画しよう。

あきらめずに最期まで。