みぐるみん

身ぐるみ脱ぎ捨て自由に生きる。おひとり様引退ナースが人生でやり残したことをやるために創った空間です。

スピリチュアル思想は各自の我流でいいと思う

f:id:mimikobito:20210714205412j:plain

スピリチュアルとの付き合いかた

スピリチュアルとは

今ではすっかり社会になじんだこの言葉。

高齢者は別として、知らない大人はいないかもしれない。

そもそもスピリチュアルとはなんだろう?

いい意味でも悪い意味でも、

当たり前になり過ぎると人は思考停止する。

スピリチュアルの定義

幼稚園児のように純粋なノリで、

スピリチュアルってなに?

いざ調べると意外にあやふやビックリした。

今更だが、実は検索したことがなかったのだ。

内容が神秘的で目に見えないもの系だけあって、

当然定義は難しいだろう。

定義とか言っている時点でもうすでに、

頭カチコチお猿さんウキッキーかもしれない。

 

一応参考までに下記を引用するが、

目が泳ぐややこしさなのでスルーしてください。

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』   

ナビゲーションに移動検索に移動

英語のスピリチュアル: spiritual)は、ラテン語の spiritusに由来するキリスト教用語で、霊的であること、霊魂に関するさま。英語では、宗教的・精神的な物事、教会に関する事柄、または、の、聖霊の、の、の、精神の、超自然的な、神聖な、教会の、などを意味する宗教形態キリシタン用語としては、ポルトガル語読みでスピリツアル、すぴりつあるとも表記される

キリスト教
ニューエイジ・心霊術
医療・ケア
音楽

スピリチュアル・ケアという表現に含まれる「スピリチュアル」という言葉の意味については、WHOにおいて以下のように定義されている。

「スピリチュアル」とは、人間として生きることに関連した経験的一側面であり、身体感覚的な現象を超越して得た体験を表す言葉である。多くの人々にとって、「生きていること」が持つスピリチュアルな側面には宗教的な因子が含まれているが、「スピリチュアル」は「宗教的」とは同じ意味ではない。スピリチュアルな因子は、身体的、心理的、社会的因子を包含した、人間の「生」の全体像を構成する一因子とみることができ、生きている意味や目的についての関心や懸念と関わっている場合が多い。(WHO「ガンの緩和ケアに関する専門委員会報告」1983年)

つまり、人間全体を考えるときに無視できない、目には見えないが、生きる意味や目的に関する、とても重要な要素だとされる。

 
……言葉で表すって大変ですね。
チラ見しただけでもういいっす…
だから思考停止したくなるのも当然。
「なんとなくみんなが使ってるから使っていた」
日常に追われるよう刷り込まれた我々国民が、
仕事や家事育児の合間で疑問など持ちようがない。
そんな自己弁護もしたくなる。
 WHO(世界保健機構)が定義に追加して、
ナースだった私もヘェ〜と思ったが、
現場は目先の業務に追われるばかりだった。
この国にありがちな「なんとなくやってる感」
定義に追加されただけの机上の空論。
とってつけたような特別感を植え付けられ、
現場はややこしくなるばかりで振り回される。
現場は全力で己の寿命を縮めながらやっている。
厚労省のお粗末コロナ対策でおわかりだろう。
失礼。。。つい正直に言ってしまった。
ややこしくなるので常識的な資料はここまで。
 オカルトからスピリチュアルへ
私にはこれといった霊感みたいなものはない。

ナース時代に多数のご遺体とも接したが、

まるっきり心霊体験はない。

自然過ぎるぐらいドライでクールだった。

とはいえ、全く感情を殺せたわけじゃない。

相手は生身またはついさっきまで生身だった尊い人。

たまに切断された指だけということもあったが、

その断片にすら敬意をもって接してきたつもりだ。

私にとって死は日常であり身近すぎた。

それゆえ特別な霊界は要らなかった。

同僚のなかにはその世界を持つ人もいた。

病院の仮眠室で金縛りにあうからと、

御守りやお札を持っている後輩もいた。

霊安室と同じ階にあったため説得力がある。

そういう人の体験談を聞いても、

私はなぜか疑ったことがない。

スピリチュアルという言葉が流行るまでは、

不思議な心霊現象としてひとくくりされていた分野。

胡散臭いイメージを刷り込まれたわりに平気だった。

本人があると確信している限り、

それはその人にとって絶対にあるのだ

嘘なんか誰もついていないと思う。

幽霊が見える人も、見えない私も

私の体験談

母の癌末期ケアでの出来事

私の母が突然の急変で癌末期を迎え、

最後の入院をした時のこと。

延命処置をするかどうか家族で相談して決めるようにと、

病院から言われた父が電話をしてきた。

何度も自分が患者の家族に言ってきたセリフだ。

いざ自分が聞く側になるとキツかった。

生まれて初めて電話越しに大声で泣いた。

私たちは希望を捨てずに14年も闘った。

最後ぐらい自然に委ねて人間らしく終わらせてやりたい。

即決で延命処置はしないことを選んだ。

ただひとつ気がかりだったのは、

母の実父がなにも知らされていないことだった。

母は心配させたくないからと14年間ずっと隠していた。

でもこの事態になったら、

お祖父ちゃんに知らせないわけにはいかない。

どう伝えればいいだろう。あまりに辛すぎた。

早めに考えよう。そう言って父との電話を切った。

1分もたたないと感じたほどすぐだった。

また父からの電話。冗談みたいだった。

「今、電話があってじいちゃんが死んだ」

突然倒れて救急車で運ばれたが、

病院到着直後に亡くなったとのことだった。

「親より先に死んだら親不孝」母ちゃんはよく言っていた。

母が亡くなったのはそれから40日ほど経ってからだ。

母ちゃんは親不孝にならなかった。

祖父ちゃんも娘の悲報を知らずに済み、

ある意味苦しまずに逝った。

あの世でバッタリ出会い「そーゆーオチかよ〜」

コントみたいだと爆笑している

二人の姿が目に浮かんだ。  

看取りに葬儀に仕事復帰に大忙しで、

すっかり忘れていた。

私の人生で最も説明のつかない不思議な出来事だった。

街中の人が天使に見えた日

ナース業を引退する直前の時期、

私は心身ともに限界で最後の力を振り絞って

通勤電車に揺られていた。 

ズタボロでも潔く引退すると決めたことで、

心の奥底では穏やかな幸福感を感じていた。

誰をみても優しい気持ちになった。

すると不思議なことばかり起こった。

やたらと電車で席を譲られるのだ。

ちょっと強面の中年男性やイケメンの学生さん、

小学生や高齢のおばあちゃんにまで。

みんなどこかキョトンとした表情で当然みたいに席を立つ。

そんなに私の顔色は悪いのだろうか?そうでもないはず。

街中の人が優しかった。

街中に天使がウヨウヨしていた。

家の近所でつまづいて転んだ時も、

通りがかりの中年女性がさっと手を差し伸べて起こしてくれた。

「いっつも頑張ってんねんから」

去り際にそう言い残して小走りに去っていった。

本当に知らない人だった。

なんだかわからないが、

この世には説明できないことがもっとたくさんある。

ほんの一瞬でも魔法にかかったような、

あたたかいありがたさ

それが私にとってのスピリチュアルなんだと思う。

わたし流スピリチュアルとは

宗教色の名残が強いものなのに、

日本人にとっては爽やかな流行みたいになっている今。

私は個人の宗教観を否定するつもりはない。信仰は自由。

我が地域の仏式システムに対する反感を述べたことがあるが、

純粋な信者さんを非難するつもりはない。

正しさはみんな違っていいと思う。

どんな宗教も根本はみんな純粋なものだったはず。

ビジネスがらみの部分が醜くなっているだけだから。

宗教の代わりに今のスピ系ブームが起こっているなら要注意。

私は目に見えないものを大いに信じる。

目に見えるものや常識ほど疑ってかかる非常に嫌なやつだ。

スピリチュアルもハマりすぎるとかつての宗教と同じになる。

私はすぐに気が散るため(笑)

とことん最後まで他者の思想におとなしくついていけない。

不意にドライになってスイッチを切り替えるから続かない。

だからこそ傍目に見ると危うさを感じることがある

スピリチュアル性に目覚めるきっかけとして、

特定のリーダーから学ぶことも多々あるだろう。

純粋にリーダー的活動をされている方々はたくさんおられる。

そこに群れてどっぷり依存しさえしなければいい。

本物のリーダーならば、群れや依存を嫌うだろう

結局は各自、

独自のスピリチュアル世界を創造するしかない。

リーダーたちはそう願って活動されていると思う。

自分のリーダーは自分でしかないから、

最後は各自そこに落ち着けばいい。

月並みだが、私はそう思っている。

総論だけなのに長くなってしまった。

今後も何か思い出したり紹介したくなったら、

スピリチュアル系の記事も書こうと思う。

長々とお付き合いいただき

ありがとうございましたm(_ _)m 

おまけ 

冒頭の写真は今日焼いたまるパン

何かとテキトーなんで、

うっかりまた一部焦がしてしまった。

大昔「こげぱん」っていうキャラクターあったな。

この先酷暑にパンを焼くのはキツいが、

体温越えする日に焼けた瓦屋根とか利用して、

新手の太陽光サバイバルパン窯とか発案し、

一回焼いてやろうかと狙っている。

どうせ暑いなら暑くて得することしたい。。。