みぐるみん

身ぐるみ脱ぎ捨て自由に生きる。おひとり様引退ナースが人生でやり残したことをやるために創った空間です。

「世間」と「社会」の違い

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 世間と社会はどう違う?

はじめに

私は今までこの質問に答えられなかった。

どちらもいつもあいまいに使っていた言葉だ。

この世にたったひとつの正解なんてないと思う。

私が答えられなかったのは、

正解ではなく自分の意見だ。

正解はひとつだと教育を受けていると、

こういう大人になってしまう。

自分を研究するとそれがよくわかる。

自分の意見とは自分の納得。

自分の納得が自分の理念哲学を創る。

バタフライエフェクト

私は昨日の記事で、

「個人は世間を変えられないが社会は変えられる」と書いた。

これはどういう意味なのか?

疑問に思うことが個人にできる第一歩かもしれない。

ひとりひとりのフォーカスが物事を動かす。

バタフライエフェクト

初期のわずかな差が将来の状態に無視できない大きな差を発生させる現象。

気象学者のエドワード・ローレンツが1972年に初めて使った言葉。

「ブラジルの一匹の町の羽ばたきはテキサスで竜巻を引き起こすか?」

Wikipediaより引用) 

 スピリチュアルに詳しい方はご存知だと思う。

それは奇跡でも魔法でもない。

真のスピリチュアルとは本来、

ごく平凡な私たち一般庶民が、

日常に落とし込んで使うもの。

私はそう信じている。

では、社会と世間の違いにフォーカスしてみよう。

世間と社会の違い

日本人が変わると世界は変わる?

そう書いてある本は多数あった。

日本人の特殊性ってなに?

これまで膨大な量のスピリチュアルや宇宙の本を読んできた。

科学も心理学もオカルトも都市伝説もなんでも、

頭ごなしに否定せず手あたり次第調べまくってきた。

そのわりに世間と社会の区別については無知だった。

次の引用参考文献はポイントを突いていてわかりやすいだろう。

 

社会

世間

契約関係

贈与・互酬の関係

個人の平等

長幼の序

個々の時間意識を持つ

共通の時間意識を持つ

個人の集合体

個人の不在

変革が可能

変革は不可能

個人主義

集団主義

合理的な関係

非合理的・呪術的な関係

聖/俗の分離

聖/俗の融合

実質性の重視

儀式性の重視

平等性

排他性(ウチ/ソトの区別)

非権力性

権力性

「社会」と「世間」の比較(佐藤直樹著『「世間」の現象学青弓社より)

  • お返しのルール
  • 年功序列・高齢者が無条件に偉い
  • 定時に鳴る町内放送のチャイム(学校みたいに規則的)
  • 定期清掃・定期草刈りなど同一時間共同作業を好む
  • みんなと同じが常識人
  • しきたり重視
  • 伝統は簡単に変えられないし変えようとしない
  • 根拠がなくても儀式は続ける
  • 土地の者と移住者を区別する
  • 一対一の喧嘩はないが複数で陰口を言う(仲間外れ)
  • 地元の年長者・男性が権力を持つ

以上、私の苦手な我が実家地域の特徴を当てはめると、

ざっくり見て上の表の「世間」そのものだった。

少し難しい言葉で書かれているが、

なんとなく雰囲気で感じられると思う。

日本の息苦しさが「世間」の空気感であり、

その特徴が有効に使われていないということが。

良い点もあると思う。例えば、

  • 無条件に年長者・高齢者を敬う
  • 争いを避け調和を保てる。秩序正しく譲り合いの精神
  • 八百万の神。万物に神性を感じられる柔軟な宗教観
  • 身内意識が高いため家族や近所の人を大切にする

自分の周りにあるいろいろな組織がどちら寄りなのか?

もちろん2択に分類して決めつけるのはよくない。

それこそ偏った固定観念をつくってしまう

ただし人間関係で辛かったり居心地が悪く、

ストレスが溜まったり感情的になりそうな時、

頭を理論的に切り替えてクールな検証をするのに役立つ。

自分が空気の悪さを感じるのはどんなところだろう?

あっ…ここ「世間」っぽいから自分は反応してしまうんだな、とか。

理屈をこねて分析しているとパニックになりにくいこともある。

引用文献の表からしても、

個人が連携しやすいのは世間ではなく『社会』だとわかる。

「世間」には個人という概念が希薄なのだから。

私たちはそれぞれが一個人として、

自分がつながる社会を発見または創造しなければ、

永遠に「世間」の呪縛から逃れられないだろう。

変化を嫌う「世間」は抜けがけも嫌う。

もちろん「世間」の方が居心地の良い方もおられる。

それこそ個人の自由なので参考までに。

一億総自分計画

繊細で心優しく静かだが、

ゆるキャラとかに情熱を注げる日本人を、

私は心から愛している。

その日本人をいまの歪んだ「世間」から、

「個人と社会」の新しい関係へと引き揚げるには、

「古い世間」にこれ以上パワーを与えないことだ。

「古い世間」が滅びても、

個人は滅びないから大丈夫。

自分であり続ける人が増えれば、

「古い世間」は居場所を失い自然沙汰される。

失いかけた個人を取り戻す。

それは分離分断ではない。

「世間」という群れが内と外を区別し階級を設け、

悪い意味での分離分断をあおっていただけ。

本当の意味での個人は孤立孤独ではない。

「一億の個人たち」がそれぞれ社会とつながるとき、

次の新しい『社会』が生まれると思う。

自分の意思を使って暮らそう

国民全員がクリエイター

ブログやSNSYouTubeで庶民も情報発信できる時代。

子供から高齢者まで国民全員が、

自分のチャンネル運営してるとかいいよなと思う。

没頭していると人の陰口いう時間なんてなくなるから。

各自引きこもれば一見冷たい世界に見えるけど、

個人がネットで世界中のサーバーと繋がるイメージで、

いろんな社会が広がっていく。

社会につながれなくていじけるのは

「世間」という群れだけだ。

だから世間はいつも引きこもりを叩くんじゃないか。

全国の群れない引きこもりのみなさん

卑屈になんかならなくてもいい。

新時代の先駆者だという誇りを持って、

胸張ってしれっと。

各自、我が道を行きましょう!

それが新時代のエコな「たたかいかた」。

自分自身であることが最強

「世間」は変わらない

変わらないものを変えようとあがいた私。

世間は変えなくてもいいとわかったら、

生きるのが楽になった。

変わらないものを変えるより、

ひとりで社会とつながることに挑戦するほうが、

よっぽど楽だとわかった。

すると「世間」に対する深い怒りや憎悪がおとなしくなった。

「個人」と「社会」のセットを私は選ぶ。

「世間」に振り回されてきた人生を終わらせる。

中高年世代が生き方を変える背中をみせれば、

次世代はもっと生きやすくなる。

「世間」という不気味な生き物の正体を知る

得体が知れないから怖くなる

正体をつかめば恐れは消える

だから「世間」が何者なのかを見極めて、

恐れを追い払おう。恐れが人を支配する。

だから私はこの記事を書く。

書いていて苦しかったけど、

恐れは間違いなく減っている。

知ろうという意思があれば充分

知ることを意識する人が増えれば、

バタフライエフェクトを起こせる

たった一人の小さな気づきや決意が、

後々とんでもない結果を出すかもしれない。

このおばさんの悪あがきを踏み台にして、

自分を救う手段を生み出してほしい。

誰も救えなかったとしても、

発信しようとした自分を誇りに思えたらサイコー。

誰かに読んでもらえるだけで幸せだと思う。

読んでくれた方がなんらかの喜怒哀楽を感じ、

自分の個性を通して産んだ何かで

また次の見知らぬ誰かと繋がっていく。 

ぐるぐるみんみん♫みぐるみん

そこには依存と支配がない

群れない「つながり」がある。

それが深呼吸できる「社会」なのかもしれない。

おまけ 

今日は朝から調べものに没頭しすぎて、

飼っているカメのきっちゃんのごはん時間大遅刻。

生まれて初めてカメがすねる姿を見た。

お腹ペコペコなくせしてわざと目をそらし、

水を交換する間も知らん顔。

でも水がきれいになってたまらなくなったのか、

ようやく機嫌なおしてたっぷり食べてくれた。

反省。。。