みぐるみん

身ぐるみ脱ぎ捨て自由に生きる。おひとり様引退ナースが人生でやり残したことをやるために創った空間です。

日本人と骨

f:id:mimikobito:20210721094653j:plain

骨という執着(続編)

はじめに

脊椎への興味から始まった探究が、

世間と社会への在り方まで発展してしまった。

テーマが大きいうえに根も深い。

昨日は憔悴しきってもう考えたくなかった。

ブログも休もうかと思った。

少し明るい記事にして休養した。

目覚めて先にカメの世話をして、

また書こうと思った。

昨日で投稿数50記事になっていた。

他の人のブログを見ると

自分の記事がくだらなく思えた。

マニアックで長いしきれいなことばかりじゃないし。

自分自身であろう!と言いながら

周りと比べて自己卑下する自分を見た。

昨日は悶々とした。

でもまた目覚めて腹を据えた。

みんなと違うことを、自分だけの視点を、

隠さず出そうと思ったのは自分だった。

みんな自分にしか書けないことを書いていて、

私と違うから素敵だと思うのだから。

普段の自然な感情を忘れそうになっていた。

人が違うことを書いたら素敵だと思うのに、

「自分にだけ」それを許さない。

それこそ世間に刷り込まれた劣等感という自己批判

何事も内側に向けがちで自罰的と言われる、

日本人の特性がよく現れていると思う。

だから日本人は自らの命を……。

危ないところだった。

「骨」について省略していた続きの部分がある。

長くなって混乱し、下書きに保存していた部分だ。

それを今日は公開しようと思う。

アートと素敵なメッセージを発信しておられる、

素晴らしい読者さんのおかげで癒された。

私は私にしか書けないことを書こう

メッセージの行間にあふれる勇気をいただいた。

ありがとうございました。

 日本人と火葬

本来は日本も土葬だった。

墓の墓標の起源はここで土に帰ったよという目印。

一緒に花を植えるしきたりなども残っている。

土にかえって有機物に分解されて、

花がそれを栄養分にして育つ。

これも森羅万象のリサイクル。

愛する人が花になるのも素敵だと思う。

 

現代はどうだろう?

土葬できる自然も破壊しまくり、

死後ビジネスに侵食された執着という骨壺に、

腐らない、腐れないまま残されることが自然の摂理だろうか?

残念ながらこの小さな島国には、

もうそんなスペースはないだろう。

人間に都合の良い現代社会の環境下では、

衛生管理上、清潔不潔の区別が大切になる。

日本人は特に潔癖。

清潔な火葬がベストだったのだろう。

室町時代あたりは町中に死体が転がって

腐敗しているのも普通だったらしい。

除菌も消毒も太陽ができる範囲だけで、

微生物やウイルスなんかも程よく共存できただろう。

抵抗力もつき免疫力が発揮できたと思う。

過剰に除菌すればするほど、

生き残りをかけた相手も変異して反撃してくる。

そんないたちごっこが今の社会の日常だ。

次世代の葬い

腐乱した遺体が転がるような、

ナチュラルな昔暮らしを勧めたいのではない。

同じ火葬なら完全に骨まで粉々に、

跡形なく焼き尽くせばいいのにと思う。

できない技術じゃないはず。

なぜ中途半端にしか焼かないのだろう。

私も自分の母親の骨を拾ったが、

儀式的でなんとなく嫌だった。

足から頭まで順番に箸で骨のかけらをつまんで

骨壺に入れていく。

残りの大半は結局処分されているわけだ。

家系という執着

母なる大地と隔離されたまま、

可能な限りこの世に、

この家系という縛りに、

繋ぎ止めたいという執着心。

それは愛のようにも聞こえるが微妙だ。

愛は執着を生みやすいから仕方ない?

しかし生きているうちにたっぷり味わい学ぶから、

死んだらいらんやろとドライに思ってしまう。

墓や仏壇は絶対必要か

葬式や埋葬の文化も進化していいと思う。

仏壇も墓も持たずまたは諸事情で持てず、

亡くなった誰かに毎日心の中で声をかけ、

感謝を伝えているホームレスの方が

果たして罰当たりだろうか?

既存の経済が沈没していくなかで、

お墓が作れず罪悪感に苦しむ人もいる。

そんな方に言いたい。

あなたは決して罰当たりなんかじゃないんだと。

葬式や法事や墓参りが悪いとはいわない。

経済的にもゆとりがあり、

その儀式が残された人の癒しになるなら、

大切に残していいにきまっている。

ただできない人が卑屈にならないで済むように

「当然意識」を変えた方がいいと思うだけだ。

 絶対的なしきたりのへの依存が、

今後も必要なのかどうかを考えたいだけだ。

残念ながらこれからの災害列島日本では、

「先祖代々」という物理的縛りは

次世代の足かせになる可能性もある。

生き延びる若い世代だけでも、

選べるよう縛りを解いてやりたい。

何度も繰り返すが、

次の時代を生きるのは我々中高年ではなく、

子供と若者だから。

火葬のままなら完全に焼却して希望者は散骨。

それでいいんじゃないかと最近思う。

ヒゲワシさん

私は豪快でマイナーな鳥葬でもいいが、

近所でヒゲワシを見かけたことがない。

ヒゲワシは動物の屍肉や骨を食べる地球の清掃係。

骨を溶かす特別な消化液を持つそうだ。

鳥葬は、亡骸を山頂に葬り、

鳥さんに跡形なく処理してもらうというものだ。

ヒゲワシは今絶滅の危機らしい。

日本には動物園に1羽しかいない。しかも高齢

羽を広げると3メートル。

近所にいたらマジこわい。

彼らのおかげで腐敗したものが残らず

感染症の蔓延が防げていた時代があった。

衛生状態が良くなりすぎて、

役目を奪われた悲しい進化の歴史になるのか…。

美しい鳥さんだけに寂しい。

使わない機能は退化して消滅する。

日本人と骨

骨に執着させ続けるこの国の性質。

日本人の遺骨への思い入れは強い。

信仰の概念は人それぞれで八百万の神オッケー。

一神教的な統一感はなくラフなくせに、

どうしても形式やしきたりの呪縛が解けない国。

そこには「世間」という同調圧力が潜んでいる。

ポンコツ政府よりもやっかいなのは、

それを創り上げている自覚のない

私たち「世間」かもしれない。

おわりに

世間…世間…と長々語らせていただいた。

社会の闇なんてできれば目を背けていたい。

やっぱり見て見ぬ振りできなかった。

これからも私はしつこく追求すると思う。

コロナ禍でのオリンピック強行の今だからこそ、

個人と社会を取り上げていく。

ブログに関する次の自分の課題は、

書き方やまとめ方・投稿の仕方(記事の長さや出す頻度)など、

表現の仕方を工夫すること。

たった50日の体験で焦らないように、

自分でありたいと思う。 

おまけ

f:id:mimikobito:20210721095020j:plain

今、飼っているのは、
甥っ子が幼稚園の頃にもらってきて、
置いていったカメのきっちゃんだけじゃない。
お隣から譲り受けたメダカたちがいる。
増えすぎて困っていたので引き受けた。
うちは井戸水があるから自然に近い環境になるし。 
妊婦さんメダカは次々と出産している。
新しい小さな命がこの石臼の中で生まれている。
森羅万象と共に生きる。
メダカたちにご飯をあげながらいつも思う。
私たち人間だけの地球じゃないことを。