みぐるみん

身ぐるみ脱ぎ捨て自由に生きる。おひとり様引退ナースが人生でやり残したことをやるために創った空間です。

私がミソフォニア(音嫌悪症)かもしれないこと

「音で悩んでいる人シリーズ」番外編

私はミソフォニア(音嫌悪症)だった?

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聴覚過敏の記事を書くうちに気づきました。

自分が「ミソフォニア」だったかもしれないことに。

53年間生きていて解明できないままだったことが、

ふとした発見で腑に落ちた瞬間でした。

これは日記の延長線上みたいな記事です

本線の「音の悩み②」は現在作成中ですが、

そこに組み込まない個人的な記録ですので、

ご了承ください。

父親がクチュラーで汁物をすする音が大きかった

私は子供の頃から音に敏感でした。 

音以外の感覚全体もそうでした。

まわりの大人から出る空気を肌で感じ、

母親以外の大人と関わるのを嫌がる子でした。

幼稚園も泣き叫んで嫌がり、

小学3年の時にはクラスで流行ったイジメがまる一年続き、

断続的に登校拒否しました。

人の腹の中を見通せたのかどうかはわかりません。

ただ空気がよどむとすぐに影響を受けました。

母が嫁いびりされているのを見て育ったため、

家庭は母という居場所はあったものの、

町も家も学校も、

どれひとつ落ち着く場所はありませんでした。

複数の野良犬が最も分かり合える親友でした。

動物や自然とのコミュニケーションは得意でした。

それがテレパシーなのかどうか知りませんが、

なんとなく分かり合えました。

森羅万象には裏表がなく付き合うのに疲れない。

純粋な子供にとって最良の友達でした。

私の父は機械のように真面目な人です。

昭和の父親像そのもので、

黙ってテレビをじっと見ているだけで、

家族には無関心無感動でした。

赤ちゃんの頃の私には一度も触れなかったそうです。

家族にはあいさつも自分からの言葉かけもなし。

いただきますもごちそうさまも聞いたことがありません。

そんな父は得体の知れない大人でした。

子供の頃は父の笑顔を見たことがなく、

覚えているのは眉間にシワを寄せる顔だけでした。

無表情で無言で、ただいるだけで怖かった。

その存在が出す音に母も私も強い不快感を感じました。

母も軽いミソフォニア気質だったのかもしれません。

身震いしながら部屋をそっと離れる程度で、

母子ともに激しいパニックは起こしませんでした。

たぶん分かり合える相手がいたからでしょう。

母は祖母にいじめられても平然と笑顔を貫きました。

私をかばい癒してくれる太陽でした。

母は家族の闇の全てを引き受けて、

高校卒業の時点で私が実家を出て、

県外の短大に行くことを応援してくれました。

実家を出て父と物理的に離れたことで、

私のミソフォニア症状はすっかりなくなりました。

私の場合特定の音というよりは

特定の相手が出す音に反応したようです

そこには根深い心理的な闇がありました。

以後30年余り症状は出ませんでした。

新たな土地で多くの友人に出会い、

仕事は大変でも刺激に満ちた大爆笑の日々。

実家のほうも傍目に見ると安定した円満な家庭でした。

毎日繰り返される騒音と共に暮らすこと

母が亡くなって13年。

実家に戻って3年目になります。

老いた父は毎日のように、

趣味の木工をするのが生き甲斐です。

私も過去にいろいろと作ってもらい大切に使っています。

母が亡くなった後、別居中は頻繁に電話をし、

極力父とのコミュニケーションに努めました。

子供の頃とは違いました。

互いに物理的距離を保ち、こちらが合わせて働きかければ、

表面上なんとか円満な父と娘の関係を維持できました。

実家での同居にも前向きに挑戦しようとしました。

 

機械音も最初は我慢できました。

しかし毎日続く爆音でだんだん気が変になりました。

どんどんうつ状態も加速しました。

脈が飛んで心臓がバクバクして冷や汗が出るようになり、

ある日思い切って父に聴覚過敏を打ち明けました。

共感力の欠如がある人なので想定はしていました。

「これは唯一の生き甲斐なんで」

そう言われただけで、今日も爆音は続いています。

何があろうとやり続けるということです。

彼は騒音による障害で早い段階から難聴です。

聞こえないうえに耳栓をして爆音ですから。

聴覚過敏じゃなくても、

閑静な住宅街では普通に騒音公害レベルです。

町内の役員とか日頃からいろいろやってきたため、

誰も文句を言えないようです。同調圧力で。

性格的なものと高齢者特有の頑固さとか、

いろいろ混じり合っているのでしょうね。

今の私は時々ミソフォニアのように、

父の出す機械音が引き金で激しい怒りと憎悪が

引き起こされることがあります。

母に関する父との過去の確執は和解したはずなのに。

クチャラー音と同じように機械音に関してだけ、

どうして今になって感情が抑え込めないのか?

不思議でしかたありませんでした。

全て更年期のメンタル不安定かもしれませんが、

今回の発見で少し納得できホッとしました。

ミソフォニアの人は

脳の音を調節する機能が普通の人と違っていて

身の危険を察知する領域にもつながっているそうです。

自己防衛本能だから野生動物の反応なんですね。

心の持ちようが悪いと自分を責めていましたが、

脳の構造が少し人と違うからかもしれない。

得体の知れない感情ほど怖いものはなく、

納得できたことで癒されました。

多くの精神疾患を持つ人が、

診断を受けてホッとするのと同じです。

HSS型HSPでマルチポテンシャライトで

聴覚過敏症でミソフォニアだったとしたら…ってもう私、

いい意味で変態の域ですよね(笑)

自分の持つ性質があまりにもマニアックすぎて

あるときから楽しもうと思うようになりました。

そしてこの苦しみを経験しているからこそ、

自分のために、誰かのために

自分を材料にして何か記録を残そうと思えるのですから

本線のシリーズで自分の個人的な感情が入ると混乱します。

それを避けたくて、

ついダラダラ息抜きしてしまいました。

これからも前向きな変態として、

自分らしく生きていきます!

最後まで読んでくださったかた、

本当にお疲れ様でした。

ありがとうございました。

※ 今日の写真は自作で。。。

やっぱり写真は下手でも自分で撮るのが好きかな。。。