みぐるみん

身ぐるみ脱ぎ捨て自由に生きる。おひとり様引退ナースが人生でやり残したことをやるために創った空間です。

長野県の土砂災害で生命のことを考えさせられました。

こんにちは。mimikobitoです。

今日は地球上最強生物クマムシさんシリーズの、

続きを書こうと思っていました。

長雨で各地被害が出ていることは承知しています。

ここ数日、滅入る気持ちが和らぐような明るい記事を考えました。

いつもとは違うお盆休みを家族と共に少しでも有意義に過ごそうと、

多くの方が複雑な思いを抱えていると思います。

各地で土砂崩れや住宅浸水の被害が多発するなかで、

長野県岡谷市で子供を含む死者が3名出てしまいました。

犠牲者は母親と7歳と12歳のお子さんだと知りました。

とても悲しいニュースです。

心よりご冥福をお祈りいたします。

今日は予定を変更して、

読みづらい形式ですが今の心情を素直に書き殴ります。

 

クマムシさんの記事のテーマは次のタイトルでした。

クマムシさんはなぜわざわざ寿命のある生き方を選ぶのか?」

構成は変更しますが、内容について少し触れて語りたいと思います。

クマムシさんは体から水分を抜いて、

カラカラになった樽(たる)の状態に変身することで

不死身になれるといわれています。

不老不死が人類の憧れだった時期が長かったと思います。

今でもそうかもしれません。

不死身になれば寿命はありません。

誰だって死は怖いです。わたしも怖いです。

痛かったり苦しかったりするんじゃないか…。

そうした外界の要素が怖いというのもありますが、

最大の恐怖は自分という存在が終わりを迎えることに

心理的な折り合いがつけられるかどうかかもしれません。

しかしそれは内観してゆっくり考える時間があればの話です。

昨日亡くなられた方々にはそんな時間などありませんでした。

 

多くの方が突然の事故や災害でこの世を去っていきます。

私の母は余命半年を宣告されながらも、

14年間癌と闘って13年前に力尽きました。67歳でした。

彼女自身は奇跡的に鎮痛剤なしで癌による痛みを免れました。

森羅万象のギフトでしょうか?

皮肉にも癌性脳脊髄膜炎のため意識混濁をきたしたおかげで、

痛みを感じることなく最後の時間を過ごせたのです。

本人がどういう心理状態だったか。誰にもわかりません。

少しずつ近づいてくる最愛の人の死を、

どう受け止めればいいのか…。

幸運にも私には多少の考える時間が与えられました。

ナースとしてではなくただの娘として、

母のターミナルケアをさせてもらいながら、

ひとりの人間として本気で死と向き合いました。

延命はせず自然に命が尽きるのを見守る選択をしました。

抗がん剤放射線治療に挑む人生を望んだ母でしたが、

最後くらいは自然の摂理に沿って、

人間らしく送りだしてやりたかったのです。

食べられなくなり、飲めなくなり、目を開けなくなり。

ゆっくりと血圧が下がっていく段階へと、

生命は終わりのときに向かっていきました。

病院の近くにある河原の水面にキラキラする光を見て

やっと私は母の終わりを受け入れました。

あのキラキラに含まれる存在へ、

これから彼女は向かおうとしているんだなと。

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それから3日ほどして、母は穏やかに息を引き取りました。

ここだけ聞くとゆっくり過ごせて恵まれていたと思います。

実際は症状が急変して突然盲目になり下半身麻痺になって

緊急入院した流れでしたので不意打ちの出来事でした。

 

始まりがそうであったように、

終わりも不意打ちにやってきます。

不老不死が可能なクマムシさんが

なぜ寿命という始まりと終わりを選ぶのか?

彼らは過去も現在も未来もなく瞬間を生きていると、

以前の記事でもご紹介しました。

瞬間を生きる。

誰もがいつかは迎える最後の瞬間。

時間は金太郎飴みたいに細かくカットされた瞬間が並んでいるだけで、

連続性はないという理論を発表している方もいます。

まさにクマムシさんの世界そのものを、

私たちも知らずに生きているのかもしれません。

実はそう考えたほうが腑に落ちたのです。

(あくまで私の場合です)

(正解はひとつではありません。反論もまた間違いなく正論なのです)

いろんな本に書いてあります。今ここ、瞬間を生きよう!と。

子供の頃のように目の前のことに、

全力で夢中になることが大切だとよくいわれますね。

自分の大好きなこと、興味のあることを調べていたりすると

時間を忘れて没頭してしまいます。

好きなことの中でさえも辛かったり楽しくないことがあります。

辛い体験も楽しい体験も、喜怒哀楽いろんな感情も。

いろんなネガティブを味わう瞬間はあっても、

それは瞬間の断片であり、永久に引きずっていくわけじゃない。

苦しみや怒りや悲しみをそこに置いて次の瞬間に移れるのです。

目を背けて蓋をして次に進むと、同じ過ちを繰り返してしまいます。

どんなに落ち込んでも傷ついても、

自分なりに向き合って学んでから進めば、

過去はしつこく追いかけてこなくなりました。

半世紀も生きてきてようやく最近、

あやふやな「過去」をそっと置きざりにできる気がしてきました。

目の前のくもりをぬぐってクリアな視界で立ち上がるのです。

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体験して学んで工夫して進化して

何度も何度も瞬間に立ち戻りながら生ききる。

そこには必ず自分だけの小さな哲学が日々生まれているはずです。

生きた時間の長さだけが哲学の質を左右する要素ではありません。

私はそう信じています。

昨日亡くなった親子も我が母もそうだったと。

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突然すぎたり、短すぎる命だったとしても、

必ず何かしらの哲学を仕上げて天寿を全うした生命だと思います。

クマムシさんが樽(たる)状態の安心安全な不死身を選ばず、

限りある寿命を選んでしまうのは、

瞬間という時間の中で、

生命が体験したいからではないでしょうか。

 

少し頭が整理できたらクマムシさんの寿命にからめて、

自分なりのまとめをしていこうと思います。

わたしは幾つになっても不完全で伸びしろ満載な

悟れない「こびと」です(笑)

もう完璧になりたいとは思いませんが、

「どの瞬間も知ろうとする自分」でありたいと思います。

まだまだ雨は続いています。

被災地のみなさんが安全に乗り越えられますようお祈りします。

最後まで読んで頂きありがとうございました。