みぐるみん

身ぐるみ脱ぎ捨て自由に生きる。おひとり様引退ナースが人生でやり残したことをやるために創った空間です。

実験!うさぎ風味のわたしが書く、不意打ち小説風味「気が散るひと」

こんにちは。mimikobitoです。

はじめに

不意打ちという言葉がありますが、

まるで我が人生そのもののようです。

今日の出だしも不意打ちでしたね。

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「不意に」という言葉が、

ドストエフスキーの小説によく出てきました。

ロシア語の原文で読んだわけじゃなく、

日本語訳の表現ですし厳密にはわかりませんが。

「Неожиданно 不意に」

「Внезапно 不意」

英語でいう「Suddenly 」みたいなニュアンスでしょうか。

ロシア語のキリル文字、かわいいでしょ?

たまには書かないとどんどん忘れます。

気が散りやすいので(笑)

この先は自分がいつも日記で書いていた物語風に書きます。

日記の文章を当ててみただけで、小説ではありません。

今日これを書いたことで自分がどんな感覚を覚えるのか、

過去記事での内容と被るものが多いですが、

今日は個人的な試験用に書かせて頂きます。

活字に興味がない場合苦痛でしかないので(笑)

ザーッとスルーしてくださいね!

内容は全てノンフィクションです。

[ 気が散る人 ]

気が散るわたしは今朝も目を覚ました。

覚ました。

覚ましてしまった。

覚ますことができた。

語尾が微妙に違うにしても、

東から太陽は昇り、わたしは目を開ける。

 

目覚めるとほぼ同時に起き上がり、

ベッドにかぶせてある全ての布を引っ剥がす。

コの字型の室内布団干しに寝具をかけ、

洗うものはランドリーボックスへ放り込む。

なんでもない行動だった。

そこまではオートメーションで動く。

頑丈なアコーディオンカーテンで仕切られた、

南向きの旧子供部屋は、つなげると16畳ある。

京間と本間の違いだかなんだかで、

通常のマンションの16畳よりはるかに広かった。

全国の子供部屋おばさんの中でも、

恵まれている方だと思うようにした。

隣接する北東側には4畳半ほどの和室もあり、

喫茶室と命名している。

築45年ほどの木造古民家の主屋2階部分で、

この3年を過ごしてきた。

小学5年から高校3年まで11年ほど暮らした実家だった。

母屋と言ったが、実質は玄関と中庭に面したキッチン越しに、

建て増しした離れが連結されている。

厳密には離れとはいえないのだが、

生活空間としては完全なる離れだった。

庭は家を囲んでぐるりと回れるスペースがある。

普通乗用車なら詰め込めば10台は入るだろうに、

老いた父が処分できずに抱え込む物置小屋で、

フリースペースが随分と減っていた。

それは主人である父の勝手であり、

30年も実家を離れていた娘がとやかく言える立場ではない。

玄関も分かれており、実質私と父は同居であり別居だった。

とはいえ、遠まきの監視見守り介護は必須だった。

水の流しっぱなし、電源つけっぱなし…、

その程度なら誰にでもあることだが、

古い木造住居が密集したこの地域で一度火を出せば、

ソドムとゴモラ状態だろう。

そのためにわたしはここにいる。

そのために全てを捨てて戻ってきた。

感情の欠落を伴う特殊な父との二人暮らしは、

想定してはいたものの、

母というワンクッションのない空間は、

想定外のカオスだった。

そして私は鬱になった。

ちょうど更年期と言われる時期ど真ん中で、

なんら珍しくもない、ありがちなことだった。

 

起き上がるとまずデスクに向かう。

タブレットの充電器を抜き、

語学アプリのノルマをこなすのが定番だった。

ブログを始めるまでは。

敷地に面した対面通行の狭い道路を挟んで、

向かい側にある散歩道を、

近所の高齢者が歩く音が聞こえる。

少し靴底を引きずりながら砂の道をジョリジョリと。

ときおり挨拶を交わす声が交じり、

短めの社交辞令が交わされる。

小学生の集合時間と登校の音、

デイサービスの送迎車の音、

定期的なゴミ収集車の音。

決められた様式の秩序正しい日常が、

寸分の乱れもなく展開されている。

想定外のない穏やかで平和な暮らしがここにある。

この固定された平安な静寂を、

自分ひとりが破壊しているように感じた。

誰もが守りたい、壊したくないこの平和な町の秩序を。

抑鬱状態がひどい頃、家族を含めた町中の人が敵に見えた。

精神を病むと、そういう心境になることは珍しくない。

ナースの頃は常に病む人のケアをする側だった。

自分は状況を眺めるだけで人ごとだったはずで、

そのくらい割り切ってクールじゃないと、

こんな濃すぎる仕事は務まらないのだと思っていた。

冷血な自分を自分だと信じながら。

こうして今、自分が病んでみると、

病む人に共感していたことに気付き、驚いた。

それは単に強弱の違いであり、

未経験どころか、ずっと知っていた苦悩ばかりだった。

全人類の苦悩を背負って立っていると勘違いした人間の、

見事なサンプルとしての自分を発見した。

「逆の立場になって初めて相手の気持ちがわかりました」

そんな歯の浮くようなセリフを何度も吐いたことがある。

そう言った自分の腹の底が透けて見え、嗚咽した。

別の人が言えば、美しい内省の言葉になったりする。

病んだわたしが嗚咽したセリフが、

言葉を発する人によっては真実の光を放つのだ。

エンパス?

わかりそうでわからない定義が不意に浮かぶ。

また「不意に」だ。

冷血でクールな自分には関係ないと思っていた。

暖かく清らかなスピリチュアルにハマりきれない、

男性寄り理論脳が強めの自分には無縁の世界だと、

知識として学問として割り切って脇によけていた。

まさか、私がエンパス気質を持っていただと?

この図々しい自由奔放のはずの私が?

いつもマイペースな単独行動ばかりの群れない私が?

自分の共感力が強いなんて、あり得ないと思った。

父の「無言無反応無感覚・感情欠如の生き物嫌い」の一部分と、

母の「天真爛漫超ポジティブ・感情豊富で動植物大好き」の部分。

月と太陽。虫と鳥。父と母。

どちらも地球上に必要でかけがえのない要素だった。

たまたま北極南極レベルの激しさだっただけだ。

束の間、二極間の粗い選択肢にそそのかされる。

少し前まではどちらが自分なのかという、

点のような狭い世界観に迷い込み、

自己のイデアが消失した。いったん完全に見失った。

混乱したわたしは、外界を遮断して引きこもった。

自分とは思えないような自分が顔を出すたびに叩いた。

モグラ叩きみたいに無我夢中で。

受け入れたくない自分を否定するのに必死だった。

そこにはジャッジがあり、無意識下に潜んでいたイデアがあった。

最近になって「エンパス寄り」の自分を叩かなくなったのに気付く。

昔の真逆の性質を持つ自分を排除せず、

わたしという個体の中で異種共存させる作業が始まった。

そして私は自然な流れでブログを始めた。

今この瞬間に、小説風味でワケのわからないものを、

腹の底から、脳の髄から生み出そうとしている。

なんの前振りも、心構えもできていない今朝「不意に」。

 

唐突なのは今に始まったことじゃない。

自動車免許更新に行った帰りに電車で居眠りをし、

一駅乗り過ごしたことがある。

寝起きで妙にスッキリした気分になり、

なんとなく歩いてみたくなった。

海沿いの潮風を浴びながらクリアな寝起きの頭で歩いた。

当時住んでいた賃貸マンションの2軒どなりに、

マンション新築予定地ができていたのは知っていた。

いつも部屋の窓から見ていたからだ。

私は不意に、そう「不意に」建設予定地の前で足を止めた。

看板に引っ掛けてある安っぽいビニール製のポケットから、

「ご近所にお住まいの皆様へ」と書かれたチラシを1枚手に取った。

そこから家までは1分もかからない。

家に着いた私は電話器の受話器をあげた。

「あの、すみません。まだお時間大丈夫でしょうか?」

マンションのモデルルームは歩いて行ける距離だったが、

もう営業終了時間が迫っていた。

「ああ、大丈夫ですよ。見学ですね?どうぞ」

先方の男性は快く受け入れてくれた。

そして、チラシを掴んでからほぼ2時間後、

私は家を買った。

モデルルームの帰り道、スーパーに寄って食パンを買った。

148円ぐらいの特売の品にするか、

定価で200円以上のものにするか、

真剣に考えている自分が可笑しかった。

ゆるんだと同時に少し手が震えた。

庶民にとって人生最大の買い物を、

免許更新帰りの居眠り乗り越しの勢いで済ませたことは

それなりに手の震えるような決断でもあった。

マンション価格は3130万円だった。

頭金630万円の支払いを即決してきた人間が、

食パン数十円の差に悩んで立ち尽くす。

どちらかといえば元々お金には無頓着だった。

寝るだけで精一杯のハード勤務の合間で、

どうでもいいことに熱中しているうちに使う暇がなくて、

気付いたらあった、みたいな適当な人間だった。

自分の価値観上使うべきときだと判断したら、

躊躇なくポンと使うタイプだがまさか…。

自分がここまで無鉄砲とは思わなかった。

世間ではよく聞く話だが自分がやらかすとは思わなかったのだ。

翌日職場の仲間に面白おかしく報告したら、

正気の沙汰じゃないと驚愕され大笑いの的になった。

新築記念パーティーでは、大笑いしてくれた仲間と、

海が一望できる空っぽの16畳リビングで、

大人5人、無邪気に組体操ごっこをして遊んだ。

家具を入れたら二度とできないからという理由で。

20代後半から50代のいい大人が、

扇とピラミッドでポーズを決めた写真は、

処分前に見たときにも、かなり笑えたいい思い出になった。

2時間で買ったマンションで結局15年間も、

わたしはなんの不満もなく快適に過ごした。

「不意」にも関わらず自分にとってハズレ物件ではなかったのだ。

手放す決断も早かった。

最寄りJR駅まで徒歩1分のおかげもあって売れるのも早かった。

決断から3ヶ月後には、引っ越しも全ての事務処理も完了し、

わたしはポツンとこの実家に存在していた。

もしあのとき強引に行動していなかったら、

確実にコロナ時代の渦に巻き込まれていた。

たとえマンション売買契約に支障がなかったとしても、

あの処理スピードと、県をまたぐスムーズな引っ越しは期待できない。

時折、唐突なのに揺るぎない確信みたいな勘が働くことがある。

それが薄気味悪くて、どうしても認めたくないこともあった。

 

不意に起こす衝動にも似た行動のことを、

また最近意識するようになった。

母を看取って以降空白の13年間忘れていた懐かしい感覚だった。

その感覚が再び起き始めたのはブログを始めてからだった。

私の周りで起き始めたささやかな出来事は、

小説には満たない小説風味の何かに成長する。

気が散るうさぎ風味の壊れかけた自分が、

半ばヤケクソで放つ得体の知れない新種の物語として、

秩序ある唐突さの中で新しいシステムを自分で編み出すのか?

それとも現行のシステムに争わず、結果として消滅へと向かうのか?

わたしにもわからない。

続きが出てくるようなら続くかもしれない。

支離滅裂で迷惑な小説風味の活字が、

細胞分裂した自分のようで愛おしく思えた。

かつて生体幹細胞移植のチームに所属したことがあった。

骨髄移植の現場と兼務だった。

移植した細胞が拒絶反応を起こすのも、

定着していくのも両方眺めてきた。

どちらにしても生命は見事であり。

いつまでもわたしを魅了して離さない。

 

また「不意に」我に帰る。

洗濯物の入ったカゴを抱え階段を降りた。

何も起こらない平和な空間で、また一日が始まる。

太陽は雲に隠れていた。

見上げても鳥たちの姿はない。

また寒くなってあの庭の赤い実がたくさん実ったら、

野鳥たちが集まってくるだろう。

それまでは冬眠前のクサガメのきっちゃんと、

しばしのスキンシップ断絶を補うように、

不意打ちで気が散る秋の日を過ごそうと思った。

(つづく…のかどうかは、まだわかりません…笑)

おわりに

ブログを書くのは難しいです。

先輩方の個性溢れるエンターテイメントの素晴らしさに、

日々圧倒されっぱなしです。

パソコンを使いこなせる能力の差は大きいですね。

パソコン音痴のわたしには後光の差す世界です。

知らない世界がたくさんある楽しさ、喜びに感謝です。

ただ文章を書くだけならいくらでも書けます。

今日のように日記として物語調に書き殴るだけなら、

毎日5000文字でも10000文字でも全く辛くない。

ブログはそう簡単にはいかないですもんね。

やってみて本当に勉強になっています。

わたしのように人生の時間が残り少ない場合は、

ブログだろうと小説だろうと、

なんらかの形で誰かの心の片隅に何かが残せたら、

形式にこだわらないのもいいかなと最近思います。

型にはめずにやりつつ、もし残り時間が多くなりそうなら、

その都度柔軟に方向性を変更すればいい。

ただし、未来ある若い世代が、

本格的に小説家としてデビューを目指すなら話は別です。

もし、わたしが今このタイミングで20代30代ぐらいで、

先行き長い人生を抱えて生きているとしたら、

間違いなくガンガン野心全開で挑みますね!

妄想全開で、本屋に自分の書籍が平積みになるところを狙いますよ。

尻に火がつくタイミングはみんな違っていると思います。

じゃあ、わたしは年齢を理由に逃げていて、

もうわたしなんてどうせ…っていじけまくり、

後悔しているのかというと、そうでもないんですよね。

この年齢でこのタイミングでしか、

わたしの最善は出せなかったのだと思うのです。

最善を10代20代で出せる人もいますし、

最初に出したからあとはダメかというのもおかしいです。

あのどうしようもなく「不意」が大好きな、

精神的な闇を抱えて苦しんだドストエフスキーさんも、

100年超えた今なおピンポイントでツボをついてくることがあります。

現代の早いスピードに適した読み物ではなくなったとしても。

100年先に読まれる作品を書籍として残していける人が、

この時代にもどんどん生まれると思います。

直接交流できなくても、

今日もどこかでコツコツ執筆されている皆さんのことを、

太陽に向かって翼竜のように羽ばたく新人類として応援しています。

わたし自身も溜まった何かを出し切って、

続々と空を舞う翼竜たちの進化を、

できればこの老眼eyesで見届けてから、

急かされる前に、ウミウ橋を振り返らず秒で渡るという、

ベテランウミウメンバーも驚き、思わず二度見されるような

粋な終わりかたをしたいですね。

(もうウミウのイラスト…紹介せんでええから…)

mimikobito.hatenablog.com

目覚めた勢いでド〜っと噴き出した文章を、

書き留めてしまったばっかりに、

ちょっと変わり種展開で長くなってしまいました。

眠っている間に何か思うところでもあったんでしょうかね?

他に研究中のテーマが山積みなのに…。

どうしても出たがる方を優先しました(笑)

最後まで読んで頂きありがとうございました。