みぐるみん

身ぐるみ脱ぎ捨て自由に生きる。おひとり様引退ナースが人生でやり残したことをやるために創った空間です。

遅かった秋の訪れに夏の終わりを想い「らしからぬブログ」を書いて新発見。

こんにちは。mimikobitoです。

ようやく半袖短パンで庭に出ると、

首筋あたりがスースーするようになりました。

今日は10月15日。

半袖短パン野郎記念日」

やっときた秋の訪れに想う 

わたしにとって、秋の訪れの便りは…。

家事をする時に首にひっかけている

日本手ぬぐいがタオルに変わるとき。

は…?

ちょっと小出しに芸術の秋

では、もう少し芸術の秋らしく…、

 

夏と完全に手を切った直後の

burn out した空気感

朝焼け…夕焼け…紅葉…、

太陽色のグラデーションを眺めるうち

わけもなく漂う虚脱感にひとり

わざと孤独になってうんと浸りきる

わざと泣ける曲を聞いてみたりする

灼熱の太陽に蒸発させられないよう

たっぷり溜め込んでいた水分の

余剰分が森羅万象に回収されていく

流した涙が回収され枯渇する頃

枯葉は母なる大地に帰還する

落ち葉を踏んだときのあの

靴底のカサコソする乾いた質感が

あれほどうんざり毛嫌いした太陽に

やっぱりそばにいて欲しいと

懇願する季節の到来を早くも感じさせる

人間が自分勝手でわがままだと

しみじみ思う瞬間のひとつが

秋の深まりを連れてくる

 

ここでちょっと余談ですが…。

太陽は固形物ではありません。

水素です。水素爆発ってありますよね。

私は化学の専門家じゃないので

詳しい解説は抜きにしますが、

昨日見た動画である方が言っておられました。

この即興の文章にも水と太陽が登場しました。

太陽は水の要素を含みます。

火であり水である。

神秘的な太陽という存在。

 

芸術の秋限定と称して、

たまにはこんな詩的な思いつきも、

ロマンがあって素敵なんですけどね。

そこで止めればいいものを。

せっかくのセンチメンタルな、

落ち葉カサコソ感のイマジネーションが、

次なる連想に発展拡大し、

乾燥わかめや、大量に天日干しした赤ジソを、

ふりかけにするため手で豪快にクラッシュする光景を、

思い出したりしてしまいます…。

ですから…なぜかそこで「日本手ぬぐい」なのです。

しょせんそれは庶民の厳しくも健気な現実であり、

秋の訪れと共に日本手ぬぐいと爽やかに別れる。

そんな自分がわたしは好きだ。

(なんのこっちゃ…)

夏の月

ですが…こんなわたしにも、

一時は墓場まで持っていくと誓った、

夏の終わりに断ち切った物語があります。

もう二度と振り返ることのない、

繰り返すことのない物語です。

夏の終息である「脱半袖短パン記念日」

特別イベントとしてお届けしましょう。

たぶん誰も興味ないと思いますし、

墓場まで持っていく秘密といいながら…、

思いつく直前まで完全に忘却していたという、

極道な冷酷さが我ながらスゴイです(笑)

女は過去にしがみつかないのであります。

そんなことはどうだっていいのです!

たとえお前が言うなというツッコミが、

雨霰のごとく降り注いだとしても、

自己満足の何が悪いんだと居直って、

世界に向けて発信しようじゃありませんか。

意図して他人も自分も傷付けない、

自己陶酔・自己満足だけなら、

言い逃げピンポンダッシュで、

海王星の裏まで脱兎逃亡していいんです!

(突然入るスイッチ…なにを力説したいのか?自分でもよくわかりませんw)

 

8年も付き合った人の顔を見納めて

終電に乗ってぼんやりしていたら

一駅乗り越してしまった

上り列車はもう来ない

タクシーを探すこともなく

乗り越すつもりだったかのように

わたしはふらふらと歩道を歩いた

ブルーライトみたいな月光を浴びて

少し冷たい潮風に吹かれて歩いた

足が痛くなってハイヒールを脱ぎ

裸足で真夜中の国道2号線を

東に向かいひとり歩く

割と高かったイタリア製のハイヒールを

酔っ払いみたいに手にブラブラ下げて

立ち止まって南の海を眺めては歩き

また立ち止まって空の月を眺めては歩く

一駅分歩くうちに涙も乾き

素足の自分が滑稽に思えて楽しくなる

もうこんな靴なんか二度と履かない

素足の自分がなんだか新しかった

眠れるかどうかわからなくても

数時間すればまた陽は昇る

コーヒーを淹れて

ベランダで待ち伏せしてみよう

夜明けが次の世界を連れて出てくるから

夏の恋の終わりは秋の到来ネタとして、

季節性インフル並みに定着していました。

今はどうかわかりませんけど、昔はね。

誰にでも一度はあるでしょう。

背伸びしてオシャレして強がって、

トンネルの先が永久に見えないままむしろ、

それを好都合にズルズル続いた関係を、

バッサリキッパリ切り捨てた夜。

なんの未練も残さず(笑)

この曲だけが思い出に残りました⬇️


www.youtube.com

読者さんコメントがヒント

いろんなことを試してみます。

できるできない、ウケるウケない抜きで。

昨日はたまたま試しました。

というのも、常にわたしはお題を綿密に計画したり、

狙ってターゲットを絞って書くことが不得意だからです。

そこで自然発生的に出来上がるのは、

支離滅裂で超はた迷惑でしかない類の、

闇鍋ロシアンルーレットブログ。

では「らしからぬブログ」というのは何か?

昨日のわたしのブログ記事のことです。

mimikobito.hatenablog.com

 

想定外の棚ぼたというか、

またまた狙ってもいないところからネタが…。

りょうさんのコメントがヒントになって、

今日の考察のきっかけができました。

りょうさん、いつもありがとう!

宇宙兄弟愛・家族愛

なぜかいつもハッとするような一言をくれます。

りょうさん、ま、まさか…!?

前世でわたしの息子だったんじゃないかと、

変な勘ぐりを入れたくなるほどです(笑)

息子は言い過ぎとしても、

正直、りょうさんは実の弟のような気がします。

(ヒィ〜それ言っちゃうとほぼ呪いでしかないんですけど…)

(りょうさんには、早めのお祓いをお勧めします…)

男兄弟がいる子が羨ましくて、

お兄ちゃんと弟が欲しかったからだと思います。

自分の好きな遊びが男の子向きだったので。

子供時代のキャッチボールも釣りも秘密基地も。

大人になったらバイクに車に…

自宅に暗室を持っていた写真マニアの叔父の影響で、

一時期は一眼レフカメラで景色を写すのにハマり…、

LPレコードでジャズを聴き、ライブハウスに通い詰め…、

あと一息で自衛隊自動小銃を撃つところまで行きかけた。

心底女の子遊びが性に合わなかったんでしょうね(笑)

もし自分が男だったら、余生で何をするでしょうか。

ヘンリー・ソローのように世俗を離れてひとり小屋に住み、

「森の暮らし」の変化系で「海の暮らし」をしてみたり。

でも、街のごちゃごちゃも嫌いではないと最近気づいたので、

感覚過敏が落ち着いたら都会と田舎のいいとこ取りしたいです。

幼少期からずっと、一人遊びで自然と対話する部分と、

気を許せる友とやんちゃする部分が混在していましたから。

何もカチッと二択で型にはめる必要ないですもんね。

父だから母だから夫だから妻だから…

あげればキリがない既存システムの役割概念。

自分の世界が濃い一部の方々は、

独自の観念でユニークな暮らしを既に始めていますが、

社会全体にはまだ非凡な空想の世界観でしかないうえ、

政治という天井を突破するには手強いバリアが残っています。

自分の世界観を奪われないように持ち堪えたいですね。

この先の時代はもっと誰もが、

フレキシブルに生きてもいいと思います。

既存の家族観だけが家族ではないと思いますし。

えっさんを勝手に心のお父さんと呼び、

今度は歳の離れた弟まで勝手に創るという、

思い込みバーチャルブログファミリー。

世界のあり方は本当に様々で自由で、

血縁を超越した宇宙家族みたいな愛があってもいいと思う。

ブログで出逢ったみなさん、

いつも存在してくれてありがとう!

「らしからぬブログ」を書いてみた感想

昨日の記事は、自分でもなんか違うなと思いつつ、

運動できた満足感で意識が外に向かったまま書きました。

目を酷使したくない…何か別の表現方法はないだろうか?

老体には健康第一ですから考えます。

雑学研究的なものが個人的に好きですが、

思いついたことを即興でつないでいくスタイルも、

好きというか天然なので大半を占めています。

即興スタイルで書くと今日のようになります。

自分では無理がなくしっくりきます。

昨日の「ブログっぽい記事」は夢か幻か?

まぼろしでした!

自分らしいスタイル

正直言って上手に創れたっぽい

「これぞブログの王道的記事」は、

書いている自分が面白くないし、

読み返したいと思わないのです。

整った完璧な記事を書く方は無限におられます。

困った時のお助けマニュアル記事に、

いつもお世話になりっぱなしです。

その技術力とスッキリ無駄のない読みやすさに、

羨望と感動と感謝しかありません。

そんな無限大の切磋琢磨な世界に、

このキャラで挑んでどうするよ。

自虐だけではいけませんね。メリットもありますよ。

万人受けはしなくても…というか、

マニア向けなら当然爆発的人気とは縁遠いでしょう。

多くの方の目に触れて初めて、

文章にもエネルギーが蓄積されていくのですから、

読者さんやアクセスが増えるのは喜ばしいことです。

読みやすく美しいものにしようと努力は必要ですが、

基本のルールがしっかりして決まった制限のある記事なら、

パソコンにも強く技術力に優れた方々が大勢いるので、

いくらでもとって代われます。

自分が読者の立場なら、急いで知りたい情報検索中は、

誰が書いたかより内容で選ぶのが当然ですもんね。

テクニックのないわたしが参入に向かない世界です。

そんなスペシャルな方々に敵うはずないですから(笑)

しかし、マガモをスケキヨにしてしまうのも、

ミウで三途の川クルーズプランを考え出すのも、

毎朝、虫の写真を拡大して意味不明な発想を思いつくのも、

日々異なる朝焼け夕焼けの写真から受けるインスピレーションも。

複数のアイディアが一度に他人とピッタリ被ることはありません。

クオリティはさておき、自分にしか書けないことです。

わたしはそれを大切にしたいと思います。

自分らしい記事を書けたときは、

たいてい自分が読んでも面白いんですね。自画自賛(笑)

マジで寝食忘れて心底全身全霊注げた満足感。

それは外界との刺激を遮断しないと書けなかった。

逆にわたしの場合「らしからぬブログ」の類は、

外に出て世俗の刺激を受けないと書けませんでした。

常識の枠に染まるためには外に目を向けていないと、

内側にだけ向けると妄想ファンタジーに飛んでしまいます。

しかしファンタジーが常に遮断された特別な世界である限り、

いつまでも常識の壁は強固に立ちはだかるはずです。

現に存在する、科学がエビデンスを出せないファジーさを、

どう生活に取り込んで活用していくのか。

虫の声にも鳥の鳴き声にも命を吹き込める東洋人。

音ではなく声と受け取れる感性を持つ私たち日本人も。

東洋の失われた森羅万象と調和できる哲学概念は、

カテゴリー化された既存のシステムでは生かせません。

世界のヒエラルキーがそうできているので、

悲しいかな優生学の存在を受け入れるほかなかったのです。

これまでの世界は…ですが。

そのシステムに小さく抵抗するためではありませんが、

自分が違和感を持たないものを創っていきたいです。

正直ピンとこず自信が無かった「らしからぬブログ」を

新鮮だと褒めてくれた、りょうさんのコメントが嬉しかった!

恐る恐るの試作が有意義な学びに変わった瞬間でした。

みんなの定番がコントになるという独自の個性を大切にしよう!

こうして考察できたのは、そのご意見のおかげなのです。

定番のブログらしい記事が悪いのではなくて、

みんなができることを、わたしが出来づらいだけです。

うさぎ風味のマニアなやつがイジケているだけだと思って、

あたたかくスルーして放牧してやってください。

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おわりに

昔、断念して叶えられなかった、

「流行らない救護室」が実現できると嬉しいです。

誰でもふらっときて何かを感じて、

またはぷっと吹き出しただけで通り過ぎていく場所。

わたしが暇なことが社会の平和だった「健康管理室」

自分とみんなが楽しめるように、

これからも、わたしはわたしでいようと思います。

うわっ!長くなりました。

また次回まで!って…明日やと思いますけど。

最後まで読んで頂きありがとうございました。