みぐるみん

身ぐるみ脱ぎ捨て自由に生きる。おひとり様引退ナースが人生でやり残したことをやるために創った空間です。

いたずら願望を哲学し欲望のコントロールを学ぶ(今日も脇道余談満載)

こんにちは。mimikobitoです。

3日前までの半袖短パンのわたしはいづこへ。

はじめに

慌てて秋用のレッグウォーマーと、

ぬくぬく腹巻きを引っ張り出して武装OK。

わたしの腹巻コレクションにはこだわりがあります。

オーガニックコットン・リネン・ウール…

カシミア・シルクなど天然素材でできた物。

現在は節約生活期間で何も購入していませんが、

化学物質過敏がきつかった時期に、

一生使うつもりで大奮発投資したものです。

「腸は免疫の要」ですから。

腹巻は防護服みたいなものです。

今朝は急激に冷え込みました。

冬眠準備で相手にしてくれなくなった、

クサガメのきっちゃんの寝顔を眺めながら、

彼女が目を覚ます春まで生きる気力を、

なんとかしなくてはと、

朝からウロウロ挙動不審なわたしです。

いたずら欲求をセルフコントロールする

我が人生最大の課題である「いたずら癖」

怒られるスレスレで寸止めするスリルと、

サスペンスがクセになります。

怒られませんように…とドキドキ祈りながら。

それは一種のストレスともいえるわけで、

そんなリスクを冒してまでなぜわたしは、

いたずらをやめられないのでしょうか?

何度も同じ考察をしているはずなのに今日もまだ。

マヤ暦では人生をひと回りして52歳で一旦死に至り、

53歳が1歳に相当するみたいなことを、

どこかで見た覚えがあり、なるほどと思います。

わたしは1歳児ということですね。

都合の良い解釈にしておきます。

いたずら大好きピヨピヨ「カリメロ」?

「い〜たずら大好き、ひよっこだい…♫」

中高年のみなさん、懐かしいですね。

わたし、なぜかここで突然思い出してしまい、

「鳥」ネタ好きなのでついうっかり取り上げました。

ほとんど意味ないのに不意に出てきたカリメロ(笑)

昔のアニメってなかなか衝撃的ですよね。

カリメロプリシラ恋愛模様が何気に激しいのは、

イタリア人漫画家ニーノ・パゴットと

トーニ・パゴット兄弟の作品であることも関係しそうです。

イタリアのみなさんが大切にする人生観

アモーレ(愛する)

カンターレ(歌う)

マンジャーレ(食べる)

アニメにも生きている気がしました。

よく見るとカリメロって確かに、

イタリア人男性っぽい感じの顔立ちですね。

イタリアってノリが関西系なんですよね。

いっときイタリア語勉強しかけていました。

発音はしやすいからいいんですが、

この情熱的すぎるノリが毎日続くと…、

個人的にはキツイかもですね。

カオスにカオスはちょっと大変ですもんね。

東洋文化の落ち着きが、

わたしのカオスを和らげてくれるから、

テンションは高すぎないほうが、

歳を重ねた今はやっぱり落ち着きますね。

(…どの口が言うてるんでしょうか…)

 


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関西の笑いを内と外から眺めてみて

わたしは生粋の関西人ではありません。

しかし人生の半分以上は関西の地で暮らしました。

実家という外側から客観的に眺める関西は、

愛する第二の故郷であり、

永遠に愛おしい場所でもあります。

関西では街中がお笑い芸人。

面白くて当たり前なのです。

以前語ったように「統一」は「消滅」へと向かいます。

白の中に白を敷き詰めれば見えなくなるというアレです。

「ある」のに「ない」状態になる。

面白いものだらけの中に面白いものがあっても、

そのパワーは打ち消されるのです。

ですから…。

同じ関西圏内であろうとなかろうと、

品のあるおとなしめの賢そうな人の中に、

キラッと光る笑いのツボを見つけると、

お宝を発掘したくてたまらなくなるのです。

このわたしも、過去に出逢った何人もの方の、

キャラ崩壊に関与し貢献して参りました(笑)

テンポの早すぎるハイレベルな関西のノリにはない、

じんわり染み渡るような異色ネタ発掘に快感を得る…。

もう心底ホンモノの変態ですね。

HONDAに学ぶ

人様のまともなブログを荒らすことのないよう、

自分をコントロールしなくてはなりません。

あ!ここ…この角度から攻め込んだら面白いかも…?

平凡に見える世の中にもあるんです。

これってもしかして…宇宙か森羅万象が仕組んだ、

人間に対する巧妙な罠かもしれないと疑うほど(笑)

ナイスなツッコミどころが転がっているのです。

くぅぅ…その手には乗らん…引っかかってたまるか…。

絶対これエゴの罠やて…落ち着けわたし…忘れろわたし…。

凄まじいエゴとの葛藤を超え、

エゴの挑発に乗らないよう自分の内部で闘います。

「ほ〜ら、美味しいネタきたよ〜楽しいよ〜」

わたしのエゴはわたしをそそのかし続けます。

よだれの出そうなツッコミどころの片鱗でも発見すると、

即座に我を忘れてしまうのです。

マガモのときのように…⬇️

 

mimikobito.hatenablog.com

 

転がるような連想と妄想が止まらず、

一日中笑いをとることしか考えられなくなります。

もう人生最高のゾーンといえばソーンなんですが、

異なるツボの方々にとっては迷惑ですからね。

さすがに私もすこし大人になったようです。

最高のゾーンに入ったときこそ

調子に乗らないこと。

落ち込んだ時より厄介なのです。

調子に乗ってるから気付きにくく学び辛いのです。

日本の誇るHONDA創設者の本田宗一郎さんの相棒、

藤沢武夫さんの経営に関する名言のどこかに、

あった気がするんですが…いや、トヨタだったか?

とにかく経営の視点で書かれた書籍だったと思います。

記憶がごちゃごちゃで詳細があやふやですみません。

エントロピーと破壊願望

病んでるわたしの歌

布団を畳みながらふと

思いつく言葉を

iPadに殴り書きしていく

そうしないとすぐに流れてしまうから

立ったまま1000文字軽く超えるまで書く

肉付けして整えていくと

今日の記事ぶんの分量は軽く超えて

逆に削る作業に苦労する

毎日毎日こうしてわたしは疲弊し

息絶え絶えにふるえる指で

公開ボタンに手を伸ばす

解き放った言葉は世界にまき散らされ

私のもとには新しい空虚だけが残る

「もうしんどいわ」

毎日思うのに毎日書きたくなる

病気だと思う

秩序と崩壊

整った美しいものを壊してみたくなる本能。

エントロピーとは、

熱力学において断熱条件下での、

不可逆性を表す指標ですが…あ〜もう、

めんどくさっ…ひと言で簡単にいえば、

カオス(混沌)みたいなものと書いてました。

それってわたしのことですね。。。

 

エントロピー増大の歌(オマケ)

エントロピーが増えると

秩序は壊される

完璧では進化できない

進化するには歪みが必要だから

我々は欠点やコンプレックスという

欠けを抱いて生まれてくる

欠けは必要であり重要な要素だから

完璧になったら終わる

渦が止まる

地球ゴマがコテっと倒れるとき

進化どころか生命は終わる

だから不完全さを失わないで

コントロールして

この胸に抱いたまま生きる

 

私たち誰もがどこかに、

破壊願望を隠し持っているのかもしれません。

いろんな要素と絡み合って、

独自の個性があるとしても、

それを唆し極限まで悪用したのが戦争であり

ソフトに有効に昇華させたのが、

恋愛のいざこざという愛と憎しみの感情だったり、

家庭内の日常の小競り合いに垣間見る

シンプルな怒りの感情だったり。

人間である限りエゴとの共存は必須です。

誰だってきれいごとばかりでは生きられません。

醜い側面を持っていてもいいんです。

それを持っていないふりをして、

無視するから苦しいだけ。

破壊願望も受け入れ認め、なだめて懐かせる。

そうするようにしてから、

少しだけ生きるのが楽になりました。

ブログ5ヶ月目初心者のある朝の光景

右脳のリードで書く

寝起きは最も頭が世俗に触れていない時間帯です。

その頭のまま更新されたブログ記事を見ます。

毎朝6時〜7時ごろ更新されている、

写真と絵画アートの記事を見ることになります。

視覚刺激メインだと言葉が邪魔しないから、

スッと自分の感性で素直に情報を取り込める。

そこから布団を畳んだり着替えたり。

カーテンを開けるまでに、

思いついたことをひたすらメモしまくります。

bookmarkで資料としてメモしておいたり、

当日使う流れならiPadの編集画面で殴り書きし、

断片だけでも支離滅裂でもなんでも書いておきます。

そして下書き保存してようやく我にかえり、

ここでやっとカーテンを開けるのです。

左脳のリード+右脳サポートで書く

カーテンの外の日常という空間に触れたとき、

内側から引きずり出した何かが、

スウッと色褪せるように消えるのがわかります。

洗濯をして掃除をして、

再び理論的思考が使えるレベルで、

記事の仕上げというか、

考察や分析や編集を加えて、

語尾や文章のリズムとメロディーを整えます。

ジャズを長く聴きに通っていたためか、

アドリブの自由な調べを取り入れたり、

幼少期ほどほどに聞かされた、

ポールモーリアやカラベリなどの庶民向き、

カジュアルなクラッシック系音楽が影響してか、

映画のサウンドトラックによくある、

弦楽器の重奏が好きでしたね。

ソルフェジオ的なハーモニーを感じるからでしょう。

音楽の高等教育など無縁なわたしですが、

音符どうりに弾けない偏屈野郎で、

エレクトーン教室は窮屈で続きませんでした。

それでも流行りの曲や耳にした音を、

耳で拾って勝手に自由に弾いていました。

聴覚過敏は生まれつきだったのかもしれませんね。

型にはめると潰れる見本的な人でした(笑)

メロディーを自分の腑に落ちるバランスに持っていき、

宙に浮いた要素を自由自在に組み合わせて、

今日公開するひとつの作品を完成させます。

プロもアマも知ったことか。

これが単純に楽しくてたまらないだけ。

老眼が辛くても自分をえぐる作業が苦しくても

この喜びに代わるものはそうそうないのです。

単に文章を書くのが好きなだけではなく、

生きてきて体感した全ての要素を統合して、

五感・直感で感じる日々の情報を微調整で加えつつ、

編集する一連の作業全てが好きなのです。

この作業は私の人生そのものであり、

あれほどまでに夢に見て渇望した

俗に言うライフワークであり、

人生最期の仕事であると確信しています。

自己満足の勘違い?

はい、そうです。

昨日の記事でも書いた通り、

最後に自分に寄り添って語り合う相手は、

「自分を認知している自分」という存在だからです。

その存在が、間違いない!信じて進みなさいと、

太鼓判を押してくれているのですよ。

その相手と共にわたしは最後の時を過ごすのです。

そこには親や教師や上司の評価も持ち込めません。

親友や恋人や配偶者の評価も持ち込めません。

近所の目や世間体の評価も反映されません。

だから自己満足は有効活用できます。

驕りになる手前で引き返して調整しさえすれば。

おわりに

書き終えて画面をスクロールしながら、

なぜカリメロがここに?

本気で不思議がった自分にビックリしました(笑)

記憶ないんかい…。

今日は初めて秋本番を感じる1日でした。

扇風機をハロゲンヒーターに置き換え、

灯油の昔ながらのストーブを

早めに段取りしておかないと…。

あっという間に冬になるんでしょうね。

ではまた!

最後まで読んで頂きありがとうございました。