みぐるみん

身ぐるみ脱ぎ捨て自由に生きる。おひとり様引退ナースが人生でやり残したことをやるために創った空間です。

やっぱり「瞬間」を生きることにする ① ( 人との関わり方を見直す )

こんにちは。mimikobitoです。

はじめに

昨夜は少し早めに就寝しました。

そういえばブログもお休みを頂きましたし。

時々あるのですが、なんの前触れもなく、

身体がまっすぐに支えられなくなり、

立ちくらみのように身体がずず〜っと、

斜めに倒れ込み沈んでいく状態になるのです。

その理由が夜間何度か目覚めてわかりました。

症状は毎度の如く嘘のように消えており、

外はぼたぼたの大雨でした。

単に気象が急激に変化する前兆だったようです。

今日も朝からその続き。

ぼたぼたの雨も、昼下がりの頃には突風に様変わり。

精密に働いてくれるセンサーはありがたいのですが、

かなり身体に応えますね。。。

お休みしてデジタルデトックスしておいて正解でした。

元気が戻ったので、今日は朝から書く気満々です!

眠りの世界から引き継いだ明るい気分に押されて、

心温まる感謝の塊みたいな内容が湧いて来ましたよ。

ぷくぷく(id:yagana)さんに学ぶ

本日ご紹介させて頂くのは、

昨日アップされた「ぷくぷく」さんの記事です。

ぷくぷくさんのブログはとても面白く、

個人的な笑いのツボ「どハマりNICEなフィット感」

わたしはすっかり大ファンになってしまいました。

一見、面白おかしいネタと見せかけて…、

なんとこの記事…、

私の人生観を変えるほどの、

衝撃的感動が仕込まれておりました。

まずは、ブログの最終部分のところを、

どうぞみなさまご覧になってください。

長い文章ではありません。

本当に簡潔でシンプルな数行という感じですので、

誰でも短時間ですぐ目を通せます⬇️

 

yagana.hatenadiary.jp

 

わたしは速攻ブックマークで、

ぷくぷくさんに感謝をお伝えしました。

じっくり読み返しながら自分の中で咀嚼し、

自分自身に何度も何度も問いかけ、語りかけました。

ここには自分にとって、

コアな軸となる理念が埋まっている。

わたしがこれまでの人生で成し遂げられなかった、

いつも同じところでコケていた残念な自分の側面を、

同じ場所にある同じ強固な天井を、

この数行の言葉が一挙に突き破ってくれたのです。

メッセージを素直に受け取って、

自分のコアなゼロポイントへと注ぎ込む、

トーラス的なエネルギーに転換させていただこう!

「どーなんさん」の名言が胸の奥に響いたように…⬇️

(感激したコメントとして取り上げました)

mimikobito.hatenablog.com

 

ぷくぷくさんとの出逢いにもまた、

森羅万象の導きみたいな、

泣けてくるようなありがたさを感じたのです

わたしの中の本質が、

裏表のない野生のセンサーが作動して。。。

 

プレゼント:ゴルフと日本酒が好きな人のために - yaganaのブログ

最後の部分…心の奥底にグッときました。今後のわたしの記事で是非とも言及させて頂きたいです🙏深いですね…とても深い。ぷくぷくさんのお人柄、オーラが感じられました。学びをありがとうございます😊

2021/11/21 13:50

職場で退職される先輩をお見送りするという場面でした。

別れの時に感じる寂しさ…。

そこで感じる相手に対する愛と感謝を、

私たちはもっと大切に使えるのではないか?

そんな問いかけが胸の奥底に突き刺さるのです。

いろんな本で書いてあることかもしれません。

そんなこと当たり前やん。

そう思う方もおられるかもしれません。

しかし言葉では知っていても、

本当に心底胸の奥に刺さる時のタイミングが、

わたしにとっては、今だったのです。

今ピンとこない方には?かもしれませんが、

一度自分に問いかけてみて、

決して損はないテーマかと思いましたので、

今回取り上げさせて頂きました。

ぷくぷくさん、ありがとうございました!

不思議な患者さんとのエピソード

M.Mさん(男性)。

年齢は70歳前後ぐらいだったと思います。

大阪の小さなクリニックで働いていた頃のこと。

当時わたしは32歳で、過酷な3交代勤務の大学病院を辞めて、

日勤のみの開業医に常勤ナースとして勤務していました。

大学病院では、ただでさえ狂気の沙汰としか思えないシフトに加え、

凝り固まった狭い世界にありがちな中途採用者への陰湿な村八分で、

心身共に疲弊しきって退職した直後の就職先でした。

メンタル的に相当ダメージを受けていたんでしょうね。

その当時のわたしは本当に捻くれていて荒んで未熟で…。

裏表の激しかった忖度だらけの組織や、

群れの同調圧力に対する怒りや、

反発心を抱えたままの時期でした。

自己中心的な思い込みの正義感が暴走しがちだったのです。

「集団対一人」の理不尽な標的になる辛さを、

痛いほど味わったせいか、

子供の頃からずっとそうでしたが、

不利な立場の個人をいじめる側にだけは付かなかった。

だからやられたんですけどね(笑)同調圧力というものに。

当時、わたしの怒りの矛先はたいてい、

世間が「社会的に目上」と言うような相手ばかりでした。

目上であるクリニックの院長とは相性が合いませんでした。

エリートのおぼっちゃま先生で「完璧な良い人」でした。

誰に対しても嫌な顔ひとつ見せたことがない、

非の打ち所がない評判を持つ高尚な院長先生が、

患者が退室した後の診察室でひとり、

憎しみを込めてゴミ箱を蹴り飛ばしている姿を見て、

わたしはゾッとすると共に虚しくなりました。

キレイゴトに埋もれて発酵し尽くした、

良い人の抑圧された醜さが透けて見えたとき、

それが次第に透明度を増すにつれて遂にわたしは、

大人気なく、ちゃぶ台をひっくり返してしまいました。

完璧なエリートで常に良き人でいなくてはならない苦しみを、

当時の未熟なわたしは受け止めてあげられなかったのです。

今ならもう少し温厚に理解しようと努めたかもしれませんが、

過ぎたことは過去のこと。しっかり落ち込んで内省済みです。

そんなむしゃくしゃした勤務中のことです。

わたしからは荒んだエネルギーしか出ていなかったはず。

自分でも自分が嫌いでした。

かろうじて患者さんとの間の温かいやりとりが、

人間らしさを支えてくれた逃げ場になっていたと思います。

癒すどころか癒やされていたのが実際のところ。

院長のいない処置室でのこと。

まだお呼びしていないM.Mさんが、

採血の準備をしているところにトコトコやって来ました。

その方は、ちょっとユニークなキャラだと認識されていました。

宇宙の神秘や今でいうスピリチュアル系の話をして、

誰ひとりハッキリ口には出さないものの、

奇人変人的振る舞いゆえ、少々ドン引きされていたのです。

わたしはこの通り自分が変態ですから(笑)

そのようなレッテルを貼られた方に対して、

昔からずっと違和感や抵抗感がありません。

唐突に彼は言いました。

「あなたの中には澄んだ綺麗な水が流れています」

正直言って「はぁ?」でした。

彼の言動が?なのではなくて、

歪んで荒んで超醜いドロドロな自分の、

どこが澄んだ水なんだという驚きの「はぁ?」です。

M.Mさんはニコニコしながらじっとわたしの目を見つめ、

わたしにおとなしく血を抜かれて帰っていきました(笑)

(そもそも彼は採血しに来てたんですよね…)

「水」ってどういうこと?

当時、深掘りするほどの心のゆとりはありませんでしたが、

その言葉が20年来忘れずに残っていたことには

なんらかの意味があったのでしょうね。

全ての出逢いに意味があった

辞める時、事務員さんへ託したM.Mさんへの手紙に、

自分が何をどんなふうに書いていたのか?

今となってはさっぱりわかりませんが、

あれから20年あまりたった今になって、

ブログで彼のことを紹介することになるとは、

夢にも思っていなかったはずです。

出逢いには全て意味があります。

そうわたしは思っています。

わたしが聴覚過敏であり、

長時間の大きな機械音で不整脈が出て苦しくなることを、

知っていながら自分の快楽を最優先する父親との同居も、

なくてはならない要素であると考えるようになりました。

父がもし機械のような感情のない人間ではなく、

母が胸の奥で父への憎悪を押し殺し無念を晴らせないまま、

明るさを振り絞って寿命を縮め、死んでしまわなかったとしたら。

わたしはこの家から一生動けなかったでしょう。

嫌がらせのように毎日続く拷問のような騒音こそが、

わたしを自由に導いてくれる大切な要素なんだと、

最近は感謝すらできるようになりました。

別にわたしが変態的ドMってことではありません(笑)

苦しいのはもう嫌ですし選びたくありませんからね。

最終的に感謝できれば全てが水に流れます。

無理に嫌いな相手を、自分に酷い仕打ちをした相手を、

許す必要もないし仲良くする必要もないのです。

感謝して断ち切るだけで悲劇は終わります。

罪悪感など微塵もありません。

やったことが本人に返るだけのこととして、

わたしはわたしの瞬間を生きていこうと思います。

何があろうと自分の快楽を最優先した、

父親のいいところも見習いたいと思います。

人の痛みに気を配れる場合に限って、

何があろうと自分のやりたいことを、

遠慮なく死ぬまでやり続けるって素敵じゃないですか。

本来、他人の痛みなんて解るわけないんです。

大切なのは解ろうとしたかどうかです。

そこは、我が父が目を背け見落とした部分です。

これは肉体が朽ちた後で思い知ることになります。

理念という自分の本質丸裸の状態で認知できますから。

それを仏教では地獄と呼びます。つまり…。

わたしは何も反撃などしなくてよいということです。

誰かにひどい目に遭ったことを許せなくて、

許せないという自分を責めているみなさんへ。

自分の胸に手を当てて自分がやましいと感じなければ、

あとは勝手に本人がやり損ねた体験として回収しますから。

どうか自分を痛めつけないでください。

そんな古い腐った瞬間をリピートするのはやめて、

新しい自分の瞬間で生きていきましょう。

わたしもまだしょっちゅう闇に引きずられそうになります。

それでも少しずつできるようになってきましたよ。

フォーカスを変えれば人生は即変わります。

今、新たに自分が出逢っている愛情あふれる人々に、

生まれ変わった自分で全身全霊のエネルギーを注ぎたい。

家庭が不具合だったぶん多くの友人知人に、

愛情を注いでもらったお返しに。

おわりに・次回予告

外は嵐のように突風が吹き荒れています。

太陽の温もりを感じられない一日でしたが、

心の中は暖かく過ごせました。

次回は続編第二弾として、

  • 「龍と水」を「脊椎と脳脊髄液」に見立てた考察
  • リニューアルされた「瞬間を生きる」というわたしの理念
  • 悔いのない生き方につながるヒント

このあたりをポイントにまとめたいと思います。

カオスな野郎ですからね。

唐突な脱線や変更はあるでしょうが、

ご了承くださいませ。

それでは、また次回!

最後まで読んで頂きありがとうございました。