みぐるみん

身ぐるみ脱ぎ捨て自由に生きる。おひとり様引退ナースが人生でやり残したことをやるために創った空間です。

「瞬間」を生きることにする ② ( 龍と水の概念で自己の理念をリニューアル )

こんにちは。mimikobitoです。

はじめに

最近カマキリさんに夢中になってしまい、

延期になっておりました真面目な記事の公開です(笑)

今日は長くなるので、とっとと本題に入りましょう。

「瞬間」を生きること第二弾。

第一弾はこちら⬇️

 

mimikobito.hatenablog.com

 

「龍と水」の概念を活用する

身体の気の流れに見立てた脊椎と脳脊髄液の循環

第一弾の記事でご紹介した、

不思議で素敵な患者さん、

M.Mさんからのメッセージ読解から始めます。

『あなたの中には澄んだ綺麗な水が流れています』

人命を背負ったストレスフルな不規則勤務のなか、

集団いじめ、妬み、嫉み、見栄に物欲拝金主義…。

あげればキリがない…表面上のハリボテだった豊かさ。

かつて人間社会のドロドロした闇に呑まれ、

わたしは疲弊し歪んで醜い概念に染まりかけました。

いや、染まり切っていたかもしれません。

そんなネガティブの塊みたいなわたしに向かって、

「澄んだ綺麗な水が流れている」など、

冗談にもほどがあると正直思いました。

心底、精神的に病んで歪み切っていたためか、

からかわれたような気さえチラッとしたものです。

このセリフを勘違いしてはなりません。

「わたしが天使のように清らかで心美しい特別の人」という、

誇大妄想的な意味ではないのです。

自分は特別な能力者的であると、

信じてしまうケースもよくある話ですけどね。

わたしはM.Mさんの言う「澄んだ綺麗な水」は、

「全ての人類の中に流れる水」と考えました。

その水とは「脳脊髄液」だとわたしは推測します。

人間の体液、細胞外液として循環している水分には、

血液やリンパ液などがあります。

これらは医療関係者でなくとも一般の方々が、

日常で見ることできる「人間に含まれる液体」だと思います。

ちょっと怪我をした時に血が出た。

怪我をしたところから黄色っぽい液体が出た。

血液や浸出液などは誰でも見ることができます。

しかし「特殊な脳脊髄液という水」は、

医療関係者でも脳神経外科内科に関わらなければ、

なかなかお目にかかることありません。

ブログを始めて間もない頃に書いた記事で、

わたしと脳脊髄液との関わりを記録したのですが、

無色透明で、他の体液と比べれば混じりっけのない成分。

髄膜炎その他診断をつけるための脳脊髄液検査の際、

ドクターが背骨に突き刺した針から検体を採取します。

私たちナースは針先からゆっくりと滴下する、

その美しく貴重な脳脊髄液を外して漏らさぬよう慎重に、

滅菌スピッツ(液を入れる細いボトル)の中にキャッチするのです。

mimikobito.hatenablog.com

一滴たりとも無駄にはできません。

本当に毎回毎回息を殺しながらの作業でした。

その脳脊髄液は脊髄と脳のまわりを満たしていて、

血液ほどのスピードはなくても身体の中を巡っています。

血液は赤い。

浸出液は黄色っぽくてくすんだり濁ったりもあり。

他のあらゆる人間の体液と比べてみても、

外観・成分共にダントツで美しいのが脳脊髄液です。

身体の最も神聖…というか、

まだ謎の多い脳を包み込んで循環する神秘的な液体。

これがM.Mさんの言う「澄んだ綺麗な水」だとすれば、

「病に侵されていない正常な脳脊髄液」が一番しっくりきます。

わたしの母の死因は癌性髄膜炎でした。

この水が癌細胞に侵されてしまったのですね。

しかし、母のような病的なケース以外、

このブログを現在読んでいるみなさんの脳脊髄液は、

「澄んだ綺麗な水」だと言えるでしょう。

龍と気の流れと太極拳

東洋の伝説の中では龍がよく登場します。

古代中国では龍と人間が共存していたという神話もあります。

龍についても過去記事でずいぶん熱中して調べていました。

龍の象徴が脊椎(背骨)かもしれないということや、

龍は脊椎の中を流れる脳脊髄液そのものではないかという推測。

最初わたしは液体と龍をつなげる発想がなく、

固形である脊椎が龍のように感じられました。

背骨の見た目からしてもそうなんですが、

固形のものが長く伸びているイメージでした。

しかし近年のスピリチュアルブームに乗って、

東洋の龍伝説や神道龍神崇拝などに関する書籍も増え、

注目する方々も増えています。

古来から龍は「水の神」と例えられますが、

空の「雲」が龍に見える事があるという人も多いですね。

最近、こんな説も聞いたことがあります。

雲は元をたどれば水の一種。

龍が雲で雲が水ならば当然、

龍と水は同じ要素かもしれないというのです。

バカバカしいと笑う人もいるでしょうが、

わたしは夢があって好きですよ、こういうお話。

更に進展した夢のあるお話でいうと、

東洋の「気」の正体は「龍」だという説もあります。

気の流れが良いとか悪いとか言ったりする、

気孔の「気」のことですね。

よく「病は気から」と言われています。

「気持ち」の「気」という概念も確かにそうですが、

わたしは脳脊髄液の例えである「気」という概念も信じています。

脳脊髄液の流れが悪い(気の流れが悪い)と病気になるのでは?

…だとすれば、太極拳のように、

気の流れをよくする「気功」を含む動きは、

未病の状態を維持するために最強の方法だと思うのです。

 

日本人に多い浅い呼吸も気の流れを邪魔します。

過去を悔やみ未来を不安がっていれば、

自ずと呼吸は浅くなっています。

自分では気づきません。わたしもそうでした。

「ちょっとあなた、ちゃんと息してる?」

そう先輩に言われたこともあるぐらい、

息を詰めて過緊張で働き詰めの人生でした。

血液のように心臓と血管のポンプ機能がない脳脊髄の循環は、

深い呼吸がポンプの補助みたいな役割もします。

 

ちょうどまた、今日もナイスなタイミングのアップです。

わたしが常に応援している太極拳ブログ、

Kさんの最新記事更新はこちら⬇️

taijiquan20184.hatenablog.com

 

個人的にはラジオ体操なるものを、

丸ごと太極拳に変えて推進して欲しいぐらいですね。

それと、昭和のいい方だと「体育座り」ですか?

呼び名が違うかもしれませんが、

今もまだやらせているんでしょうかね?

あれは「日本人猫背促進運動」だったと思えるほど、

見事に悪姿勢を矯正することに貢献しましたね。

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猫背がいけないからといって、

欧米人のように反り腰になるのも陥りやすい極端な例。

身体の使い方、国民全体としても見直す時が来ています。

太極拳の基本的動作だけでも体性感覚が学べますよ。本当に。

上記リンクに貼ってくださっている動画だけでも、

わたしは取り入れてやっております。Kさんに感謝!

リニューアルされた理念「期待を捨てる」

不安より厄介な「期待」

「瞬間を生きる」というとき、

いちばん先に気をつけて意識したのは、

過去を振り返らないことでした。

これがいちばん手始めにやりやすかった。

過去を振り返らず前を向いて生きるわけです。

そこまではいいんです。

そこから、わたしはずいぶん足踏みしましたね。

わたしだけかもしれないのですが、

もし参考になればと思いまして、書いております。

わたし、更年期うつみたいになる以前はずっと、

能天気に前を向いてポジティブに生きておりました。

そしてみなさんご存知のとおり、この凄まじい妄想癖…。

面白い妄想や先読みならばいいのですが、

無駄に頭を回しすぎて暴走すると、

未来を超ポジティブストーリーに仕上げてしまうのです。

思い込みとか勘違いとか夢見がちというやつですね。

いいイメージが未来を引っ張ることもありますが、

いい思い込みが過剰になると期待が膨れ上がるのです。

この「期待」という曲者。

「不安」よりも厄介だったりします。

期待を捨てるということ

第一弾でご紹介した「ぷくぷくさん」の記事で、

わたしは期待をしないということを学んだのです。

初めて会って間もない頃にしてもらって感激したことも、

慣れてしまえば当たり前になっていきますね。

そして毎日顔を合わせるうちにどんどん、

もっとああして欲しい…こうだったらいいのに…。

相手に対する要求の割合が増えてきます。

期待してしまうんですよね。

もっともっと…って。

別れる時になって初めてしみじみ、

相手の存在のありがたみに感謝することも多いです。

そこで後悔する場合もあれば、

別れ際だけ味わう「限定的感謝」が当たり前になり、

何も感じないことがあるかもしれません。

それってちょっともったいない気がします。

どうせなら一緒にいる間ずっと、ありがたい方がいい。

人生なんて本当に短い…特に50越えると一挙に加速(笑)

失って初めて気付く存在の大切さ…も学ぶと良いのですが、

後先短いんだから、いつまでもおんなじことしてないで。

失わなくてもありがたいと思うためには、

「相手への期待を捨ててみること」が大切だと気付きました。

妄想もまた、瞬間から未来へと気がそれる危険を含みますからね。

これはわたしの個人的課題ですから、

妄想癖のない方は大丈夫だと思います(笑)

妄想も使い方次第ということですね。

(やめる気ないんかい…)

最後に後悔しないために

過去を振り返り後悔せず、

未来に不安も期待もしない。

あ〜それすらもうめんどくさいから、

いっそ過去と未来を捨てれば早い(笑)

つまり「瞬間」としての今だけにフォーカス。

これがリニューアルできた自己の理念。

わたしはしょっちゅう脱線するタイプだけど、

脱線するからこそ進化できると信じて、

踏み外すということは「行動した証」

「何もしなかった後悔」というのが、

大多数の人が臨終で呟く真の後悔なのだから。

どんどん動いてコケて、

進化し続けながら死ねたら本望。

瞬間を全力で生きていれば、

最後の瞬間も全力で死ねます。

後悔するような死に方をしたくても、

できないじゃないかと勝手に納得しております。

あらゆる日常のヒトコマを全身全霊で、

力いっぱいやれる人ってカッコいい。

力を出し切って生きていれば、

どん底で想像を絶する奇跡すら起こせる。

どーなんさん」の生き様から吸収したこと。

だからカマキリさんとのコミュニケーションも、

実はけっこう本気で全力出してやっています。

これは冗談ではなくマジです。

みなさんに笑ってもらえるよう、

自然界に協力してもらってはいますが、

森羅万象への純粋な感謝と愛を込めて楽しんでいます。

 

ある方がおっしゃってました。

アリ一匹助けるのも、人間一人助けるのも、

宇宙の森羅万象の概念から見ると、

同じとみなされるってこと。

助ける対象に格差などありません。

肝心なのは行動の元になる理念・本質なのだと。

普段表に出なかった裏側の顔…表裏の差…、

自分に嘘をついていないかどうかの、

本質が試されるのが、

これからの風の時代ということです。

わたしのような不完全な人間が、

自分を試すためにピッタリのいい時代です。

たくさん失敗して自分を試したいと思います。

おわりに

すっかり長くなって申し訳ありません。

自分へのギフトというか、単に個人の振り返りですが、

何か参考になる方もおられるかもしれないので。

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では最後におまけ、

今日のカマキリさんの姿でお別れしましょう。

寒かったので姿を見せなかったのですが、

ちょうどお食事中の姿にバッタリ出くわしました。

蛾?羽がチラッと見えましたが、撮影直前に飲み込んでしまってました。

ちょっとモグモグしてましたが…当然こんな写真では分かりませんね。

お行儀のよろしい左脚ですこと…。

では、いつか玉乗りできる日まで、さようなら!

最後まで読んで頂きありがとうございました。