みぐるみん

身ぐるみ脱ぎ捨て自由に生きる。おひとり様引退ナースが人生でやり残したことをやるために創った空間です。

独特な年末年始感で「書くこと」の自己分析を楽しみました。

こんにちは。mimikobitoです。

はじめに

今日は小雨がぱらついたりして、

気温も高いせいか身体も心も緩みました。

年末年始でブログも休暇に入る方も

たくさんおられるでしょうね。

みなさんお疲れ様でした!

昨日の記事は目次も付けず走り書きでした。

日記の中で200記事達成を静かにスルーしたつもりが、

うっかりテーマに「200記事目」と書いてしまい、

お忙しい中、お祝いコメントまで頂き、

お気遣いありがとうございました。

嬉しかったです!

こっそりのくせに大喜び(笑)

さすがに今年も残り2日となりますと、

各ご家庭での行事に嬉しい大忙しだと思います。

そんな年末年始感を上空でくるくるしている

トンビ的な目で眺めているわたしですが、

毎年ほっこりいたしますね。

誰も読んでいないつもりで書いてみる

ふと思い出しました。

7ヶ月ほど前に初めて書いた記事で、

どうか誰も読みませんようにと、

祈るように恐れおののきながら、

震える手で公開ボタンを押した時のこと。

何がそんなに怖かったんでしょうね(笑)

その時の「誰も読まない」感覚ではなくて、

「誰にも読まれない気楽さ」みたいな感じ?

例えるならば…正直表現しづらいんですが…、

人里離れた山小屋で初めてひとりの夜を過ごす感じと、

正月の帰省で空っぽになった都市中心部のカフェで

ひとりポツンと過ごす感じの違い…でしょうか。

どちらも孤独なんですけど、

明らかに孤独の質が違うんですよね。

わたしは何気に後者の孤独が好きだったりします。

まあ、そりゃそうですよね。ひとり山小屋とか怖すぎる。

なんか説得力ないですね(笑)

でも、山小屋に篭ってホッとした時期もあった。

誰も寄せ付けない自分だけの避難場所になったから。

真っ暗な、獣に襲われるかもしれない夜でも、

そこに隠れることで別の恐れから自分を守れたのだから。

年末年始の大半は勤務していました。

家庭のあるスタッフに休んでもらうために、

独身者は毎年働くのが普通でした。

そんな年末年始仕事帰りの街の空気感が、

わたしは大好きだったのです。

昔、友人の誰かも同じことを言っていました。

正月の都会が好きだったと。

そこにある不思議な「ほっ…」

夜勤明けの半分あっちに吹っ飛んだ頭で、

カフェのカウンターから街の景色を眺める。

みんな帰省して居なくなった後の空間。

何がそんなにいいのかわかりませんが、

非日常感が好きなんですかね?

そんな「ほっ」とした感覚が、

年末だし誰も読んでいないだろうから、

肩の力を抜いて自分に向けて気楽に書こうという、

深い安堵感に変わっていたのでした。

みんなに笑ってもらうためだけに、

意味不明な情熱を出し切ったクリスマス企画。

その時の書く楽しさとはまた違った、

もそもそじわじわ湧き上がるような…

「書く」という行為だけでもう、

いかなる快感をも超越するような…

これこそ「生きてる」って感覚なんじゃないかな?

その感覚で今日は書くことにしました。

だから昨日に続き、

自己分析してみよう。

「だって今日は誰も読んでいないんだから」気分!

なんでしょうかこの…変なワクワク感…。

わたしの「書く」にもいろんな「書く」がある。

この違いをまず本能的に感じることで、

今後のカテゴリー分類のヒントにもなりそうです。

現時点ではまだ支離滅裂でバラバラだけど。

わたしの中のいろんなわたしが書いている

夕方にざっとまとまって降った雨音に、

わたしはこれまで味わったことのない類の

安堵を覚えたのです。気が遠くなるような。

音や匂いでリアルな記憶が蘇ることは頻繁にあります。

もともと感覚過敏だったのでしょうね。

その過敏さを救急医療現場の直感的観察力に

生かしてこれたんじゃないかと思います。

よく考えるとナースは出産経験の有無にかかわらず

本質的な母性を使わないと務まらないのです。

危険を察知する能力があるからこそ我が子が守れます。

夫の浮気を見抜ける能力は当然なのです(笑)

苦しい状況の患者さんに

ナースコールを押させるなんて、

ナースの恥だと本気で思っていました。

日本の人は気を使って我慢する患者さんも多いのです。

だから「押させない・我慢させない」のが当たり前だった。

ピンときて先回りして訪室したり声をかけていれば、

コールを押させる頻度はかなり減ります。

ピンとくる部分に持ち前の「過敏さ」が使えたのです。

そのセンサーは五感に加えた動物的直感で成り立っていて、

マイナスに働くと精神的疲弊が人一倍強くなります。

だから定期的かと思うぐらい燃え尽きては休んだ。

「プチ引きこもり」という充電期間を設けなければ、

精神が崩壊して身が持たなかったのです。

全力で働き全力で休んできた気がします。

どっちにしても全力だった。

感覚過敏なわたしが書いているとき

こんな神経過敏なわたしが書くとき、

どんな分野のものが書けるでしょうか?

いろんな感覚を呼び起こしていき、

心や情景の描写という作業ができそうです。

カルテ記録が余計な心理描写で長くなるという、

ナースに適さない変態ぶりは有名でしたからね(笑)

そこ、発揮するとこちゃうから…残念状態だった。

完全に頑張るとこ履き違えてますよね。

小学校の図書室の風景の断片と、

雨の匂いと紙の匂い。

ロシア極東のウラジオストクの街で

同じ匂いを嗅いで懐かしかったこと。

夏のウラジオストクは実際雨が多い。

五感の情報が絡み合った記憶の断片から、

点と線をいろんな角度で繋いでいく。

描写に活かせるのならばエッセイや小説かな。

通常の雑記ブログ記事でも使えるけれど、

細かすぎると長くなって読むのが辛くなる。

カオスのまま放牧してみてよくわかった。

このタイプで書きたいモードの時は、

エッセイ・小説にまとめていこうと思います。

ロシアンルーレットタイプも自分らしいのだけど。

着地点が見えない意味不明感。

闇鍋で不意打ちに出てくる想定外の具。

そのカオスも大切にしたいと思います。

良い悪いというジャッジはしません。

頭がカオスだった時にしか書けない貴重なものだから。

今度はまた違う状況の自分が違う世界を書けばいい。

異なる人格の自分が書くややこしさ

コメント欄での交流で少し触れましたが、

わたしの中にある人格は不特定多数なのです。

病的な多重人格とは違うのかもしれませんが、

ボーダーラインだという気もします。

少年の自分も母性を使う女性としての自分も、

オジサンの自分も、全て本当の自分です。

どれも仮面をかぶっていないというところが、

ある意味怖いと思ったこともあります。

面白いネタを見つけた時には、

少年のわたしがすっ飛んで出てくる。

動植物と周波数を合わせられそうな勢いで、

物語をどんどん空想して止まらなくなる。

オジサンモードのスイッチが入ると、

男性脳が勝って理論付けや研究風に書きたくなる。

やさぐれの反抗心剥き出しになることもあるし、

人類愛に目覚めた母みたいに、

穏やかなエッセイ風に書いてしまうこともある。

紛れもなくどれも正直なわたしの姿なのですが、

明らかにリードする人格が入れ替わっています。

自己の内部に異種共存の世界があるって、

大所帯でかなり面白かったりするんですけど、

自分の内部で葛藤や紛争が起きると疲れます。

一人オーケストラというかシンフォニーというか。

うまく調整できれば美しい調べが出来上がります。

ソルフェジオ音階のようになることもあります。

ハーモニーはユニークさを生むことがありますが、

カオス具合を調整したい時はやはり、

「ソロ演奏の舞台」も作ろうと思いました。

それがカテゴリー分類ってことでしょうかね。

うんうん…だんだんつかめてきましたよ。

あ!もう3000文字超えてしまいました。

今日のダラダラ自己満足トークはこのへんで。

おわりに

「書くという行為に関する自己分析」

自己分析はこれまでもずっと

日常的にやっていたことなんですが、

久々没頭してみるのも純粋に楽しいですね。

年末年始の特別な気分ゆえに試せることです。

どれが本当の自分なのかわからないと、

悩んだ時期もありました。

でもどれも全部自分だった。

嘘偽りなく本当に自分だったのです。

どの自分も押さえつけないことにしました。

たまに自分の性別も年齢も性格も、

全く別人に思えることがありますが、

自分に嘘をつけないのでそのまま出します。

これでいいのだ、変態だから(笑)

めちゃくちゃ出てくる頻度が少ない性格はダントツ…

今どき珍しい清純な女子キャラかもしれません(笑)

出てきたのは過去ほんの数回だけだったかも?

(いやいや…そもそもあったんかい〜)

ひぃ〜!超レアものすぎてホラー😱

たぶんもう腐ってると思いますので、

このままそっと永久に封印しておきま〜す!

生き霊憑依より怖い怖〜い。

では今日のひとり言はこれにておしまい。

読者のわたしよ、また明日〜。

うっかり読んで付き合わされてしまった方、

今日はひとり言レベルでごめんなさい。

ありがとうございましたm(_ _)m