「みぐるみん」について思うこと。
「みぐるみん」というブログ名。
「身ぐるみ剥がされる」とか、ろくな使われ方をしないにも関わらず、
一度は「みみぐるみ」に変えてみたものの、こっちにしてしまった。
みみぐるみ、のほうがキュートな着ぐるみとか編みぐるみっぽくて印象いいかも?
しかし何故か居心地の悪い感じがしてしまった。
ああ‥‥私、エエ格好しようとしてる。
そう、このエエカッコの部分もまた、身ぐるみなんだろうなと思ってしまう。
いやいや、好感度の高いイメージ創りは重要かつ自然なことでしょうが。
わけわからんうんちくたれるなら、今まで通り日記帳にでも書いとけよ、
自分でツッコミたくなる。
先輩ブロガーのみなさんは、ちゃんと読者のために興味が持てる
読みやすい気持ちのいい記事を書いておられる。
私も、うつ状態の間は多くのブログやYouTube動画に救われてきたし、
今もIT音痴脱却の日々で、
多くのブロガーさんが提供してくださる知的財産の恩恵をたっぷり受けている。
心から感謝し敬意を表します。
自分の資質を活かして活躍するみなさんが着ているのも一種の身ぐるみ。
ただしそれは本質から湧き出す進化を表す高貴な身ぐるみ。
私が無理してエエカッコしようとすることそのものにも、
それに引け目を感じる未熟な自分にも、
恐れと自己肯定感の低い身ぐるみを感じるからこそ気持ち悪い。
剥がしても剥がしても、この地球上に存在する限り、
身ぐるみは必ずセットでついてくる。コメダ珈琲の豆菓子のように。
身ひとつではこの世に存在できない。
身ひとつでずっと固定してしまうと生命は進化できない。
地球上に生まれてきたからには、私たちはみんな「みぐるみん」?。
「身ぐる民」ともいえるだろうか。
ただし眠っている間とか、身ひとつにリセットできる瞬間もあって、
必ず毎朝、この身ひとつで目覚めるのだ。
今日はなに着よっかな🎶
うつ状態の間は、身ひとつに限りなく近いところにいた気がする。
社会不適合と現実逃避だと言われればそれまでだが、
とても貴重で特殊な世界だった。
ただ、そこに居続けてはならなかった。だから戻ってこれた。
たとえパンツ一枚でも、90リットルのゴミ箱に穴を開けて被っただけでも、
自分で選んだ身ぐるみなら輝けるかもしれない。
流行や世間体やしきたりに従って選ぶ、
豪華で高価なドレスとか、みんな同じの制服とかよりも。
こびとサイズの私なら、45リットルのゴミ袋でも寸法が足りてしまう。
さらにコスパよくてラッキー。でも透明は恥ずかしいから黒いやつにしよう。
今日は雨模様で明日も雨予報。
ゴミ袋ポンチョでちょうどいいかも。
結局は何を選んで着ても自由ということで。
似合うものがひとつじゃないからこそ、試着しまくってみようと思う。
今度こそ、身ひとつの自分を置き去りにしないよう気をつけながら。
毎晩忘れず身ぐるみリセットして、いたわってあげようと思う。