みぐるみん

身ぐるみ脱ぎ捨て自由に生きる。おひとり様引退ナースが人生でやり残したことをやるために創った空間です。

雨にうたれる古民家で。

”ぼたぼた”という文字通りの音が聞こえる雨が、丸一日続いた。

梅雨だったことを思い出してうんざりする。

 

築45年近い木造2階建てが、じわじわと破壊されていくような雨。

幸い雨漏りなどの被害はないが、あちこちに老朽化が見られるのは当然だ。

我が家は本家が宮大工だったこともあり、

私から見て、祖父世代の本家の爺ちゃんが建ててくれた家だった。

田舎ゆえ金持ちじゃなくても土地と家だけは広い。

管理は私の手に負えない。つくづく母は偉大だと思った。

 

 

私の母は、癌で余命半年の宣告を受けてから、

奇跡的に14年間生き延び、13年前に力尽きた。

まるまる抗がん剤漬けの壮絶な日々にも関わらず、

能天気なキャラに救われ、悲壮感の漂わない闘病だった。

高校卒業とともに実家を出て、腰を据えて同居しないまま別れてしまった。

かろうじて電話だけは毎日していた。笑えるネタ満載で楽しい時間だった。

単発的な危機には一時帰省もしたし、終末期の看取りもした。

その後も自分の生活と死別の傷を癒すのが精一杯。

実家の細やかな手入れが先送りになっていた。

 

しかしまあ、こうして実家に腰を据えてみると、母ひとりで管理するには広すぎた。

父親は昭和の象徴的タイプで、黙って座っていれば周りの誰かが全てやってくれる。

周囲で誰が何をしていようと無関心無感動の機械のような性質を持つ人だ。

80代半ば世代には特に珍しくもないタイプだろう。

各種サービスを活用しながらでも、束の間の一人暮らし体験ができた父は幸運だ。

妻のありがたみを知らずに終わる人もたくさんいるのだから。

彼らは幼少期に戦争体験をして苦労したぶん、高度経済成長の波に乗り、

誰もがそこそこ豊かな暮らしができた。世界に無関心でも生きてこれた。

父には感謝しているが、時代がたまたまそうだったというのもある。

私たちはもうこれ以上、親たちに「前へならえ」できない

 

時代は終わって変わった。

与えられた仕事を指示通り従順にこなすだけでは生きられない時代に。

自分自身が今、直面している厳しい現実など、

遥かに超えた大混乱が世界中で多発している。

若い世代の男性は、厳しい情勢の中で仕事をしながら家事分担もしているし、

子育てにも参加している。とても感心してしまう。

男はこうあるべき、みたいな男性が減ってきたことは自然な流れのように思う。

もうそこにこだわってる場合じゃなくなってきた。

性別に向く役割はあるかもしれないが、それ以外に区別など必要ない気がする。

 

かつてこの地域では、娘しかいない家庭は「お気の毒に」と言われたらしい。

まさしくウチがそうだった。

長男万歳!みたいな、摩訶不思議な世界観の名残がまだまだしつこく染み付いている。

決して長男の方々が悪いわけでもなんでもない。

そんなレッテル貼られても、いい迷惑でしかないと思う。

 

ただ『慣習』とか『固定観念』とか、

自由意思の存在を感じられない空気が怖いだけ。

 

陽射しを浴びない一日で、つい思考が陰気になってしまった。

本音だから、無理に陽気にすることもないけど。

 

災害レベルの豪雨は勘弁してほしいが、

どうせ降るならせめて、無意味な縛りを解く浄化の雨になってくれと祈る。