妄想のこびとパン
雨は上がったが、洗濯日和でもない今日は、
ほどよく湿度もあり室温も22℃ぐらい。
昨日、冷蔵庫に仕込んでおいたパン生地を焼くにはちょうど良い。
自分でパンを焼くようになってほぼ10年ほど経つだろうか?
高校時代から無性にパン屋というものが好きで、
在学中、最初で最後のアルバイトはパン屋のレジ係だった。
パンそのものも好きなのだが、パン屋という空間にどうしても胸が躍ってしまうのだ。
30年暮らした神戸の街は、まさにパン屋好きのパラダイスみたいなところだった。
オシャレな老舗から下町のおばあちゃんが店番するマニア向けの穴場まで、
無限のようなパン屋巡りを楽しんだ。
「新聞配達の人らが買いに来てくれるから。朝ごはん困るやろ」
引っ越す直前まで通っていたパン屋の、当時83歳の看板娘はそう言った。
亡きご主人の後を継いだ息子さんと二人で営む小さなパン屋。
初めてそのパン屋に行った時、自動ドアの前に立っても開かなかった。
キョトンとしていると、ドアの向こうのおばあちゃんが大声で言った。
「それなぁ、自動いうて書いとうやろ?それがなぁ、手動やねん」
「修理代アホみたいに高いねんで。もうおばちゃん、このままでええわゆうて断ってん」
重いガラス戸を自力でガラガラ〜っと開ける、その感じがたまらなく渋かった。
私はすっかりその店の虜になり、さっそく営業時間を確認した。
「うーん、3時くらいから、晩は7時まで」
サラッと言われた。
「は?3時って…ごっ午前3時ですか?」
アゴが外れそうだった。
24時間営業のコンビニの存在など、彼女の眼中にない。
常連の新聞配達員さんのために、茹でたての卵でサンドイッチを作るおばあちゃん。
保存料なしのため、昨日の売れ残りを捨てるのが辛くて、
買ったパンの3倍ぐらい、お土産を持ち帰らせてしまうおばあちゃん。
不完全燃焼のまま終わっていた高校時代のバイトの続きを夢見て、
本業を引退後、近所のパン屋2ヶ所でパート勤務した。
製造と販売のどちらもやってみたが、予想以上に過酷な肉体労働だった。
世界中のパン屋さんに、心から敬意を表したい。
体調を崩しかけていて長続きせず、社会貢献に至らず申し訳ない。
その体験は、今日のサバイバルなパン作りに活用させて頂いている。
おばあちゃんのことを思い出しながらパンを焼く。
今頃どうしているだろうか?
国産小麦粉と塩とイーストと水だけの、定番シンプルまるパン。
いろんなレシピがいつの間にか融合して、自然にできあがった自分だけの目分量。
豪華なパン用オーブンは持っていない。
15年以上使ったデロンギのコンベクションオーブンがついに壊れて以降、
アラジンのグラファイトトースターだけで、なんとかしのいでいる。
専用グリルパンを活用すれば、そこそこいい焼き具合になるのだ。
私は、何でもかんでもあるもので代用する。
今のトースターでは無理だけど、
すき焼き用の鉄鍋でカンパーニュ風の大きなパンを焼いていたこともある。
もう少し元気になったら、庭にパン釜でも作ろうと思う。
今日のタイトルに書いたのは、
偏屈な店主がひとりで営む「こびとパン」というパン屋。
ずいぶん昔、私が書いたまま放置していた物語に登場する妄想のパン屋だ。
今になって、その偏屈な店主に自分を重ねていたことを認め、可笑しくなる。
人間不信で、いつからか言葉を失って、
ひとり小屋にこもってひたすらパンを焼く。知る人ぞ知る、幻のパン屋。
山奥は虫が怖いから、海沿いの町の片隅で焼く「海のパン」。フナムシは怖いけど。
予約もできないし、店主の思いついたときに出くわした人だけが買える。
・・・脱線。妄想はここまで。
さて、今は無理せずあるもので、できる範囲でのんびりやろう。
今日焼いたぶん、冷凍したら1週間は生き延びられるな。