みぐるみん

身ぐるみ脱ぎ捨て自由に生きる。おひとり様引退ナースが人生でやり残したことをやるために創った空間です。

ブログを書いていたら無駄遣いがなくなったこと

今日から7月。

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6月最後の梅雨の夕暮れ

昨日は月並みな6月のまとめ的思考で1ヶ月の振り返りをした。

朝に記事を書き終えておくと、1日の残り時間は地に足が着く。

眠りの延長で書く記事というのは、奇怪だったりメルヘンだったり、

夢の記録ほどではないが現実離れしている。

 

これまで書いてきたのは人に役立つ実用的な内容ではなかった。

日記と自己探求だけの狭い範囲だから後日内容を手直し修正することがない。

よほどひどい誤字脱字を見つければ修正するが、

書きながら何度も確認する癖があるため、公開後はいじらない。

参考にした情報そのものが変化する内容ならば、

責任を持って訂正や追加記事も手がけるようになるのだろう。

行動さえし続ければ必要な課題は自然に現れて自然に体験できるようになっている。

夜に記事を書くペースだと、一日中それに気を取られて落ち着きのなさが倍増する。

一日中現実離れしていたら、本当にあっちの世界へのめり込んでしまう。

人生踏み外した私も、人並みに月末のレシートをまとめたり家計のやりくりを考える。

6月のレシートが驚愕だった。

食費に限定すると合計¥5045だと?

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災害備蓄用にストックしてある米や小麦粉で主食分は差し引かれるとしても、

この1ヶ月食べるために財布から出したお金がたったこれだけで済んでしまった。

実家は畑の土地を持ってはいるが、祖母が戦時中に芋を植えていただけだ。

よくある「田舎暮らしの自給自足」はしていない。

それやったらもう、本当に異次元にワープして帰って来なくなる気がする。

ブログや動画で多くの方がユニークなライフスタイルを公表しているご時世だ。

もう異次元とかいう時代でもないかもしれない。

そのうち私も行ってしまおうと思う。今はまだリハーサルと基礎固め。

戦後の昭和を抱えたままの世代がいるうちは謙虚に実践を据え置いている。

お金って本当にそこまで必要か?

「一律一定の必要最低限の支出」という縛りって

ひょっとして幻想なんじゃね?

私もお金は好きだ。自分が惚れ込むものといっしょに暮らす豊かさが好きだ。

しかしお気に入りのものは頑丈だったり一生もの系が多いため、

最初の一時的な投資で済む。継続して出費する必要がないのだ。

ブログを書くという本質の欲求に従った行動を取るようになったら、

自分の内部で欲求不満が解消されていた。

心底没頭して食べる行為から気が逸れると甘い菓子パンのことも忘れる。

コロナの件も重なって外出でウインドウショッピングする時間も減った。

web上ではどんなにうろついても自由だが、それすら過剰な閲覧が減った。

収入も途絶えたが支出も途絶えているから何も困らない。

「困る」と思い不安になって焦るときは決まって、

周囲のまともな人たちと自分を比較している。

自分だけのオリジナルを貫くには、当初孤立を伴うこともある。

永久に孤立するかもしれない。昔なら村八分で生き残れなかっただろう。

今は生き残れる。

というか、逆にそうシフトしていかないと生き残れない時代だと思う。

ネット環境さえあれば若者は世界中と繋がれる能力を無限に備えている。

もちろん若者じゃなくても。

アットホームな人と人との直接的な繋がりこそがコミュニケーション。

私も昔はそう思っていた。

直接対面しないなんて冷たい偽物みたいな気がして敬遠していた。

でも違った。いいとされてきた人情深いコテコテべったりな社会構造の負の部分が、

現代人に急増しているHSP気質とか、

神経を病まざるをえない繊細な人々を生み出した可能性もある。

ネット環境下でも村社会の陰湿さが同じように食い込んでいるだろうが、

そこを抜けると明るい側面も見えてくる。

私もやっとIT恐怖症から抜け出せた。

恐い冷たいと思い込んでいた世界への誤解を解いて素直になって、

群れない自立した人々が取る距離感を見習いたい。

距離を持つことで逆に新しいコミュニケーションのかたちが生まれている。

繊細な人間にとって群れのストレスは致命的だ。

子供も若者も、アレルギーや繊細すぎる気質に苦しんでいる。

集団で出る杭を叩きのめす陰険な社会はもう嫌だと全身全霊で訴えている。

アレルギー的な素質が多く出る時代というのは、

地球や宇宙的に見ても無意味な過剰さを排除する自然の摂理だと思う。

大人たちの陰湿なベッタリ感に疲れ果てた世代が

インターネット空間に逃げたくなるのは当然だ。

確かにいいことばかりじゃなく、VR世界にのめり込む危険も含んでいる。

しかし若者は進化していく。

そうやって機械的になるリスクがあるからこそ、

人の暖かみをより大切にしようとする多くの若者たちを見てきた。

ちゃんと時代から彼らは学んでいるのだ。

肉の身体がくたびれつつある私にできることは、

進化する若者の足を引っ張らないように

自分たちが見て見ぬ振りしたツケを直視して、

精神的区切りをつけてからこの世を去ることだけかもしれない。

 

AIでカバーできることが増えれば、古臭い人柱なんてもう必要ない。

マイクロチップもいい意味で活用するなら警察も要らない。

日本国民はすでにコントロールし尽くされている。

知らぬが仏。今更怖がることもないだろう。

学校教育と大手メディアで管理されていることを、

知らずに生きている方がよっぽど怖い。

戦争自体が心底要らないと思うのは当然だが、

万が一起こるとしても無駄に武器を持つ必要すら既にない。

少子超高齢化の今どき、若者を戦場に出向かせるという発想はナンセンス。

太古の血生臭い手法が大好きなおじいちゃん上級国民御一行には隠居して頂き、

若者に教わって最新の戦闘ゲームを楽しんで穏やかに長い長〜〜い余生を楽しめばいい。

引きこもりの無能な奴らだと、せせら笑ったおジイ様たちに、

ゲームの指導料として法外な料金を請求して大儲けしてやればいい。

他国はすでにドローンとロボットだけで戦える時代を想定しているというのに。

旧式の戦闘機とか税金で買わされて、空母まで持つだと?

無駄にこそっと軍事力世界第5位になって。

無駄遣いばっかしてんじゃねーよ。

その税金払ってんの誰?

その税金を払うために会社に忠誠を尽くしてきた先輩方が悪いわけじゃない。

日本人がまだかろうじてお気に入りのものを選べる豊かな暮らしができるのは、

そのみなさんの頑張りのおかげだと感謝している。

しかしそれが何に使われてきたのかを、

認知できる頭がくっついている間に考えてみてはどうかと思う。

シナリオの定型文に沿ったカラオケ・飲み会・お祭り・趣味にボランティア…

それも結構だが、人生に一度ぐらい自分を内観して、

群れずに静かな時間を作って自分と自分たちが育ててきた社会について

考えようとする姿勢だけは放棄しないで欲しい。

放棄してしまった結果は、否が応でも目を背けた各自が受け取ることになる。

次世代へ丸投げしても逃げきれない。残念ながら。

 

偉そうに言ったところで私だって半世紀も生きていながら無知すぎる。

みんなといっしょにそこそこうやむやにしていたら時間は経つ。

こんな規格外の人生を送らなくてもウ〜ンと楽な道はあっただろうに。

こんな自分に手を焼いている。

でもこんな自分でよかった。常識的で賢い人は、

1ヶ月¥5045で食べていけることなんて知らない。

それ以前に興味もない。

面白いことはタダで無限に創り出せるのに

もったいないね。