みぐるみん

身ぐるみ脱ぎ捨て自由に生きる。おひとり様引退ナースが人生でやり残したことをやるために創った空間です。

日常生活をプロモーションビデオ風にしてみる

f:id:mimikobito:20210703085308j:plain

ウラジオストクの裏路地で出会ったニャンコ。こんなふうにくつろいでみたい。

動きたくても動けない世界が続いている。

この限定された世界の中で、仕事も遊びも封じ込められている。

この時期を越えなければ先にいけないことはわかっているが、

もたもたグズグズ先延ばしでうやむや。

さっさと底辺まで堕ちて開き直っていても、

決断できない国家権力の激しい執着の渦中にいて楽しいわけがない。

 

こうやって毎日何かを吐き出す自分を慰めながら、

動ける時に備えるには忍耐を強いられる。

一見よくなりかけても突如発狂しそうになることもあるし、

いくら遮断しても真逆の空気に呑まれそうになることもある。

昨夜はメンタルが一瞬ドンと落ちそうになった。

なんとか踏ん張った。

夢の中で修復が効いたのだろう。今朝はもうあの妙な不快感が消えている。

夢の中で直接面識のない女性が二人出てきた。

二人とも登場人物としての設定というか外観は、

YouTube動画で見かける方々なのだが、それに大した意味はない。

私の友人の若い女性がその二人の女性と一緒に住んでいる設定だった。

 

『一人の女性は体調が悪くなったと言い横になっていて、

「これから往診に来てもらうから部屋使わせてもらうけどよろしくね」と言った。

友人と私は簡易ベッドかソファみたいなところでくつろいでいた。

LDKぐらいのマンションだが一戸でワンフロア全てを占めるほど広く、

バルコニーにはテーブルと椅子がある。高層階で眺めがいいのだろうと思った。

ただ、なんとなく部屋の境界線があやふやで

入居したばかりのオフィスみたいに生活感がない。

いったいどの部屋を使うのだろう?

その部屋らしき空間が見当たらなくて、私と友人は戸惑った。

オシャレなショップの前によくあるお手製の木の看板があったり、

やはりオフィスビルの一角という雰囲気だった。

体調不良の女性が何か作業をし始めた。探し物?

友人は手元が見えやすいように気を利かせ電球で照らしてあげている。

その電球が10W?の明るさしかないうえに途中で切れて真っ暗になった。

もう一人の女性は明日大事な仕事の契約があると言っていたのに寝坊していた。

私も友人も起こすように頼まれていたわけでもなく、どうしようもない。

私はただ黙々と自分の出発準備をしてマンションを出る。

私も友人も各自マンションを無事脱出したようだ。

次の場面ではJR大阪駅?梅田周辺?を思わせる場所にいて、

これから電車でどこかに向かう様子だ。

私は相変わらず駅近くのパン屋で嬉しそうにパンを買っていた。

行き先はわからないが食料も確保し、とにかく出発するらしかった』

 

こんな夢の内容だった。

得体の知れない空間からの脱出劇だが友人も私も無事だったということで、

寝覚はスッキリしていた。

夢の中でもやはりパン屋に行って3斤分ぐらい食パンを買い込んでいる自分がおかしかった。

山型のふわふわしたパンだった。

この1ヶ月は特に新しいことを始めて調べ物も多く、ほとんど外出していない。

外出したい欲求の現れかもしれない。旅に出たい欲求なのかもしれない。

しかしたまたま昨夜、

そんなストレスを和らげる方法も同時に手に入れた。

いつも見ているYouTube動画繋がりで、新たに登録したチャンネルがある。

その方が高速道路を走る車目線で動画を撮ってアップしていた。

プロモーションビデオを作るのが上手い方なので、

映像と音楽が融合してとても心地よい空間を見せてくれる。

夜の首都高速を走っているだけの3分ほどの動画。

しかしそのたった3分で人の深い記憶を呼び覚まさせる魔法をかける。

そんな才能を秘めた方ですっかりファンになってしまった。

昔よくバイクや車で走った夜の高速道路。私も夜のドライブが大好きだった。

高速道路独特なオレンジっぽい世界を一人でマイペースに走る。

気が向いたらお気に入りのパーキングに立ち寄ってコーヒーで一服。

深夜の2時3時とかはほとんどトラックのプロドライバーしかいない。

下手に週末の日中などにサンデーペーパードライバーに混じって走るより、

プロに囲まれて走る方が安全で流れも良く私は好きだった。

走っているうちに自然と自分に合う心地よいペースで走るトラックに出会う。

お気に入りのトラックをロックオンしておくと、無理のない運転ができて事故防止にもなる。

元々安全運転だし、スピードよりも走りながら音楽を聴いたり歌ったりするのが好きなだけだ。

あっという間にその楽しさが蘇った。

気を使わない少数の友人とキャッキャ言いながらの旅も嫌いではないが、

私はどちらかといえばひとり旅を好む。ドライブももちろんひとりが好きだった。

昔から映画のサウンドトラックが好きなのは、

無意識で自分の日常的行動にバックミュージックをつける癖があるからだろう。

誰にも迷惑のかからない自己陶酔の人生劇場を楽しむのだ。

そうやって日常と音楽を融合させた物語を知らず知らずのうちに創作してきた

自分だけのプロモーションビデオみたいなものが記憶の中に無限に眠っている。

その断片がふとした瞬間に呼び覚まされて、懐かしい古い映画を見つけたような穏やかな気持ちになる。

そのときの感情が視覚・聴覚・味覚・触覚・嗅覚全てを呼び起こす。

なんの小説だったか?確か村上龍さんのヒュウガウイルスだったか?

盲目の少年がウイルスで全滅した街でひとり取り残されるが、

瀕死状態で救出され奇跡的に生還するというシーンを思い出した。

もともと病気持ちで貧弱な彼だけがなぜ生き残れたのか?

その答えは明確に記されておらず、読者の想像に任せるという感じで小説は終わる。

もちろん自分なりの答えは出た。

あれから何年も経つが、昨夜はその答えの本質に近いものが呼び起こされた。

少年は盲目で死の恐怖と闘っていたが、元々失明という恐怖と日常で闘っていた子だった。

それを表に出さなかっただけで、常に見えない世界を生きる自分に絶望しては希望を見いだしていた。

なんの曲だったかも忘れたが、何かの曲を映像と融合させて瞼の裏に焼き付ける作業をしていた。

繰り返しその曲を根気強く頭の中で流しながら頭の中に完璧な映像の作品を刻み込むのだ。

よくあるクラッシック音楽みたいにとにかくその曲はやたらと長い。

全てを刻むには膨大な時間と労力を要する。

完璧に外界から遮断された世界で一人取り残される感覚というのは、

後天的に視界を失う恐怖と似ているのだろうか。

宇宙空間に放り出されたような感覚だろうか。

周囲に比較対象の人も物質もなく、何も見えず何も聞こえず何も匂わず。

そんな状態で発狂しない人はいないだろう。

発狂しない唯一の方法は、自分ひとりで自分という存在を認識できる手段を持てるかどうかだろう。

またまた今日も支離滅裂なことを書いている。

ただ思ったのだ。

発狂しそうな日常の中で自分を保つには、

自分のプロモーションビデオを頭の中で創るのもひとつの手段。

そうすれば現実という幻想に呑まれず俯瞰して今を眺めることができる。

この訓練は生きている間だけじゃなく人生を終えた後更に役立つはずだ。

昨日、もう自分は抑うつ状態から抜け切れたかもしれないと感じていた。

この頭のおかしさは病的ではなく生まれつきの素質なのかもしれず、

治るというより本質に戻っただけかもしれない。

そこを治してしまったら、また別の仮面地獄に戻るだけのような気もする。

社会復帰というわかりやすい完治の目安をどう捉えるかは自分次第。

いずれにせよさしあたりこの発狂しそうな日常を、

好きなバックミュージックに乗せて

今日も生き延びてみようと思う。

 

読み返すとひどい内容だ(笑)

しかし今日の読者は自分だけということで、

カッコ悪いが訂正せずありのまま公開しよう。

こんな病んだ文章が書けるチャンスは病んでいる間だけだから。

と言いつつ…ずっとこうだったらそれはそれで怖面白い(笑)

貴重な自分史として刻んでおけばいい。

まだ見る人がいないブログだからこそ

安心して自己陶酔していられるメリットがある!