みぐるみん

身ぐるみ脱ぎ捨て自由に生きる。おひとり様引退ナースが人生でやり残したことをやるために創った空間です。

わたしにとっての不老長寿 ( 9.11 前に語っておきたいこと )

こんにちは。mimikobitoです。

明日の 9.11を前に、 

今日は真面目に語らせてください。

多くの犠牲者への追悼と共に、

生命への想いを見直したくなるのです。

プライベートな内容も含みますので、

エンターテイメント性はありませんが、

よろしければお付き合いくださいね。

真の不老不死・不老長寿とは

不老不死を手に入れている人がいます。

うちの母ちゃんです。

(なんだメタファーかよ〜)

いいえ。これは真顔ネタです。

以前別記事でわたしにとって死んだ後も、

最後に残るのは哲学・概念だとチラリ語りました。

母ちゃんのおとぼけキャラは、

苦しい時も笑いを取りにいく遊び心を失わず、

笑いと共に真っ直ぐに苦悩を受け入れ、

味わい学び進化させるという、

彼女だけの哲学・概念を生み、残しました。

肉体は朽ちても概念は生き続けています。

これって宇宙空間だけじゃなくて、

地球上でも生き延びているってことじゃないですか?

人は「忘れられたときが本当の死」だといいますもんね。

最近ふと思うのです。

次世代に背中を見せる・生き様を見せること。

特別な難しいことじゃなくて、

ごくシンプルにそれを教育というのではないかと。

教育とは無縁で子育て経験もないわたしが言うと、

説得力ないんですけどね(笑)

 

うちの母ちゃんは中卒です。

昭和の古い女子の定番だった、

花嫁修行のお茶とお花と洋裁を、

ちょっとかじっただけの専業主婦でした。

嫁いびりが娯楽みたいな気難しい姑の目を逃れ、

社会に出してもらえた時期もありました。

近所の保育園でのパートタイム勤務。

生まれて初めて自分が自由に使えるお金を、

自分の手で稼げる喜びにワクワクし、

母ちゃんはイキイキと給食を作りました。

最大の喜びは自分で稼げることだったようです。

実家がゼロから縫製工場を立ち上げた中小企業でもあり、

母の母はバリバリの女経営者であり職人でもありました。

その血筋はイルカの群れのような母系最強集団で、

やたらと女性が大らかで強い一族でした。

そこへ婿養子にはいったのが、

以前記事内に登場させた、

ニコラ・テスラ似の卯年のじいちゃんです(笑)

じいちゃんは知る人ぞ知るアイロン職人で、

亡くなる寸前まで固定ファンがついていました。

おとなしくて身内の誰よりも優しい品のある、

今思えば「白うさぎ」みたいなじいちゃんでしたね。

近年の「うさぎ」が凶暴で気難しくなったのは、

「自己犠牲」のうっぷんが、

限界に達したせいかもしれませんね。

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名もない学もない。

哲学や教育とは程遠い、

ごく平凡な給食のおばちゃんが、

世界中の無名の母ちゃんたちが、

最強の哲学者だったりするかもしれません。

男性がダメだというのではありません。

そこは誤解しないでほしい。

わたし自身、男性性の性質がかなり強いです。

この地球上では誰もが、

女性に命がけで産んでもらったことを

忘れないようにと言いたいだけです。

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ここでもきれいごとは言いません。

全ての母親が愛されるべきだとは思いません。

親不孝者は罰当たり。

それを言い切って正論にすれば、

いわゆる世間でいう毒親に苦しんだ方々は、

どうやって生きればいいのでしょうか。

報われない自己犠牲を無理矢理正当化させ、

美化する必要はない気がします

わたしにも許せない親族がいます。

母ちゃんを追い詰め苦しめた相手を、

どうしても好きだとは思えません。

無理に好きになろうと努力して挑戦し、

何度も心を病んでみて学びました。

許せない相手がいる自分を責めなくてもいい。

その相手へのフォーカスを外すだけでいいのだと。

自分を苦しめた相手の陰湿な闇とのコントラストが、

苦しい時期に自分を救ってくれた人々への、

感謝の光を増幅させました。

闇によって得た光のエネルギーです。

それを眉間からビームするんです(笑)

 

太陽と月の相互関係

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わたしにとって、

太陽は母で、月が父でした。

人によって感じ方が違うと思います。

血の繋がりのない相手が太陽や月のこともあります。

東洋では単に陽と陰であり、

どちらが偉いわけでもありません。

月を憎んだり恨んだりする必要はないと、

ようやく自分の中で腑に落ちました。

夜がないと、闇がないと、眠りがないと、

私たちは地球という惑星で、

生きることができないのです。

それを司るのが松果体の睡眠ホルモン。

眠りの間は無意識で動く臓器に主導権を渡し、

持ちつ持たれつ生きている。

この肉体には限りがあります。

「生」というはじまりがあれば、

「死」というおわりがくる

日の出と日没、

朝焼けと夕焼けがあるように。

日の出の清々しい朝の躍動感や、

日没の夕焼けに息を呑む少しせつない瞬間を、

写真や絵画や文章におさめたくなるのはなぜでしょうか?

理屈抜きの衝動をかき立てるのはなにでしょうか?

肉体の不老不死を認めて許してしまったら、

いつでも手に入る永遠の時間に、

それと同じ衝動も起こらず、

それと同じ感性は込められないはずです。

むしろ永遠という恐怖しか残らない気もします。

おわりを拒絶して上滑りな不老長寿にしがみついても、

誰も幸せにならなかったではありませんか。

今の上級国民を名乗る富裕層を見ればわかります。

松果体は、恐れを招き煽る「偽りの若返り」のためじゃなく、

本質を見抜くための第3の目として、

シンプルに庶民の暮らしの中で使いたいものです。

次のまとめ書きは自分のメモみたいなもので、

重複してくどいと思うので軽くスルーしてくださいね!

※ 自分への書き置き

受け継いだ母ちゃんの人生哲学は、

彼女の代わりに今わたしが、

こうして世界に向けて発信している。

受け継がれる意思…どこかで聞いたセリフ(笑)

言葉だけの上滑りな決まり文句なんかじゃない。

式典の丸暗記スピーチなんかじゃない。

本当の不老不死は、

薬を飲んでも注入しても手に入らない。

うさぎは永久に犠牲になるだけ?

月でも地球の現代社会においても。

自己犠牲は美学じゃない。

白うさぎのような白衣を、

28年間も着ていた自分を、

犠牲者だと思いたくなかった。

漢方薬を作り続ける伝説の月うさぎのように、

よく頑張ったと、自分に声をかけてやる。

 

わたしは病んで引退した。

白衣を脱いだ。

「白うさぎ」から、まだらな保護色の、

ただの野うさぎにもどった。

社交辞令と同調圧力を強いる、

実家の地域社会に馴染めず口を閉ざした。

同居中の老いた父は幼少期から家族に対し、

自分から声をかけない人だった。

指示を出せばやってくれるいい人だが、

先天的に感情が欠如していると思われ、

少し病的な要素ゆえに進化成長ができない。

機械のように同じ習慣に従って生きることが、

彼の選んだ生き方であり彼の正しさだった。

もうジャッジと無駄な闘いはやめた。

ここ3年、親友以外とのまとまった会話はしていない。

これを公表すると異常だと思われるかもしれない。

声帯を持たないうさぎのように、

声帯を自らの手でつぶすように、

わたしは「鳴かない白うさぎ」になった。

古民家の床底が抜けそうなほど足ダンもした。

(足ダンはうさぎが怒ったときにする動作)

母のいない父と二人きりの空間で、

この3年余り、声を殺して泣き、どん底でもがいた。

そしてブログという居場所を見つけた。

言葉は活字に変わり、蘇った。

もう言葉を抑留しなくてもいい。

人間として自然に沸きあがる言葉も感動も、

機械仕掛けで動く大人に合わせて、

押さえ込まなくていいのだと自分に許可した。

それが瞬間を生きる人生になった。

私は二度と自己犠牲を美徳になどしない。

でも白うさぎだった側面も受け入れる。

テキトーなオリジナルうさぎブレンドで。

「うさぎ風味の私」で余生を生きてみよう。

おわりに

いつもとは少し違う、

内省だけみたいな記事になってしまいました。

自分に向けてのものではありますが、

包み隠す必要もないものです。

さらして困るものはもうありません(笑)

今日は文字疲れさせてしまいましたね。

また創意工夫して、

明日も我が道を進んでいきます!

最後まで読んで頂きありがとうございました。