みぐるみん

身ぐるみ脱ぎ捨て自由に生きる。おひとり様引退ナースが人生でやり残したことをやるために創った空間です。

笑顔の行方(ちょっといい物語付き)

こんにちは。mimikobitoです。

はじめに

ひさしぶりに起床と共に、

何かを口走りながら身体を起こしたのに、

そのワードは即座に消えようとする。

なんだったっけ?短い単語…三文字ほどの…。

んんぁ〜???消えた(T . T)

(今日は語尾を変えたくなって変えました)

忘れ去った笑顔を思い出す

少なくともこの3年間、

わたしの目は笑ってくれていなかった。

強ばった表情筋をほぐすリハビリの甲斐あってか、

昨夜ようやく無表情をロック解除できた。

自分の顔を取り戻す。

母にそっくりな目が笑う。

鏡を見ない日々。

見たくなかった日々。

不細工すぎてウンザリするから。

「笑ってさえいればなんとかなる」

母の教えを守らずにいたら、

本当にブスになっていた。

外観的な表情筋の問題もあるが、

いちばんの要因は、

目に光を失っていたこと。

いつも普通にあったものなのに、

それがないと一気に老ける。

危なかった。

どこまで取り戻せるかはわからない。

それでもまだ希望はある。

めずらしく長い時間鏡を見ていた。

目を背けたかった醜い自分が笑っていた。

ひとつ発見した。

ある意味歳をとったと感じるが、

目の上の肉が垂れ気味になったおかげで、

若い頃よりまるい優しい目になった。

奥二重っぽくふわっとした丸さに。

くっきり二重瞼が羨ましいと言われたが、

自分は好きじゃなかった。

キツく見えるし派手すぎて、

メイクなどしようものなら宝塚の男役状態。

小柄でその手の派手なパーツはバランスが悪い。

だから化粧は嫌いでやめた。

更年期特有の頭と顔からの大汗のせいでもあった。

運転免許証もパスポート写真も素顔で撮った。

仕事もレジャーも素顔で行く変人と化した。

外見を取り繕うことなんてどうでもいいと、

人生投げやりになった時期が長かったが、

顔は誰でも変化する。

昨日見つけた自分の新しい笑顔は、

ほんの少しだけ好きになれた。

発汗の症状が落ち着いたらまた、

お絵描き程度の部分メイクでもしてみようかと、

まさかの美容意識を取り戻しつつある自分が、

ちょっと滑稽であり微笑ましかったりする。

本気だった笑顔の研究

常時マスクを着用した状態で、

目だけで微笑むということを、

わたしはかつての無菌室勤務で鍛えた。

切実なコミュニケーションスキルとして。

前髪までバッサリ切ったり、

(マスク着用状態での目とのバランスを試行錯誤した)

俳優が役作りで体重を増減させるように、

出来ることはなんでもやった。

コロナのマスク生活で共感して頂けると思うが、

昔は職業上の特殊性だった。

マスクで上手に微笑むのは、

意外にハードルが高いのだ。

目がものをいうから。

心からの自然な笑顔は、

目が緩むのが先で、

口角は一足遅れて上がる。

目元と口角が同時に動くのは偽物クサイ。 

愛想笑の時にそうなりがちだ。

そんな文献も見かけたが事実そうだろう。

最もプロ意識の強かった頃だった。

仕事で完璧さやせっかちな部分を使うぶん、

バランス取りで自然に出る抜けキャラもあった。

その抜けキャラの出現を逃さず、

隙を見せればイイようにいじり倒しにくる後輩も、

「そこまでやるプロ意識、カッコいいっす!」

その時だけは褒めてくれた(笑)

後輩に本気で憧れられたのは、

その時が二度目で、人生最後だ。

一度目の時のことを思い出す。

17年ほど前のことだった。

クビをかけて腹を括り、

夜勤リーダーの自分が全責任を取ると決め、

組織の規則を破ったことが一度だけある。

 

病の末期を迎えた若い女性患者が、

血圧も既に測りづらくなった時のこと。

女性患者はクリーンルームという、

厳重管理の閉鎖空間の一室にご主人と共にいた。

後輩の提案を受け、

わたしは迷わず即決で規則違反をした。

もう間もなく看取りに入ろうかという状況で、

無菌室に縛り付ける必要性など微塵もなかった。

女性患者の感染が成立するよりも先に、

彼女の人生が終わることは目に見えていた。

私たち3人の夜勤ナースは見事な連携プレーで、

あっという間に夫婦を無菌室から引きずり出した。

残された時間は刻一刻と縮んでいく。

重い二重扉を抜けるとき、

背後からの陽圧の風が、

背中を押してくれる気がした。

クリーンルーム内を陽圧にすることで外部からの空気を循環させないシステム)

内側のドアが完全に閉まる。

外側のドアを開けてベッドごと彼女を連れ出す。

ご主人の顔がハッとするほど一瞬輝いた。

本人は朦朧としていたがちゃんとわかっていた。

よっしゃ〜脱出〜!

規則違反ゆえ大声は出せないものの、

小さな小舟で大海原に出た瞬間みたいな、

自由を手にした開放感を共有した。

翌日入院予定が入っているため、

使用厳禁の病室にベッドを押し込む。

可能な限り窓際にベッドを置き、

ブラインドを全開にしてセッティングする。

ご主人と二人きりで映画のようなシーンを、

過ごしてもらおうという粋な演出を強行したのだ。

気丈な女性ゆえ、最後まで意識は保っていた。

本人に対してはもちろんのこと、

残されるご主人のために、

最後の瞬間を少しでも美しく

脳裏に焼き付けさせてあげたかった。

 

夫婦は手を握り合い、

時折抱き合って、

海と百万ドルの夜景を、

ホテルのスイートルームで眺めるように、

二人きりの個室で最期を過ごした。

その瞬間を創るために、

自分のクビが惜しい人間など、

この世にいるわけがないと、

本気で思っていた。

わたしは躊躇なく即決し、

堂々と胸を張って規則違反をした。

前例がないとかどうとか、

かましいわ。

これがわたしの看取りのケアだ。

当然の如く上司に呼び出しを喰らう。

あれほど毎日わたしをいじり倒し、

オモチャにしている後輩が、

涙目でわめくのが愛おしく思えた。

「姐さんクビにするなら私らも辞める」

後輩達が自分が持ちかけたことだと、

言い張るのを蹴散らしながら、

ドラマで見るこの手の光景って、

本当にあるんだなと思った。

文句があるならさっさとわたしの首を切ればいい。

上司にキッパリと穏やかに告げたとき、

おそらくそのときの自分は、

人生でいちばん男前だったと思う(笑)

わたしは組織人として間違っているが、

人として間違ったことをした覚えはない。

上司にそう言い放ったときの気分ときたら、

…それはもう快感でしかなかった(笑)

 

わたしは人生をシネマ化する癖がある。

実は他人のドラマを演出することにも、

微々たる貢献ではあるが、

密かに情熱を注いできたつもりだ。

なかでもこの事例は自分なりに、

悔いのない上出来なシーンとして、

大切な思い出のひとつになった。

 

「もう…邪魔せんといてよ」

「…ラブラブやねんから…」

女性患者は気丈な美しい人で、

最後まで意識をちゃんと保っていた。

夜景が見えるよう電気を消した病室で、

妻の言葉に微笑む夫の笑顔がかすかに見えた。

この上なく美しく優しい笑顔だった。

それにつられて微笑んだ自分も、

いい顔していたかもしれない。

その患者夫婦とはそれっきりになった。

私たちは看取り後の業務をただ、

ミスなくドライにこなすのみ。

幸い患者の主治医がわたしをかばい、

クビにはならなかった。

なってもよかったけど。

 

情熱を注いだ先からは、

直接的に見返りがないことばかり、

あえて大切にしてきたのは、

きれいごとの奉仕の精神なんかじゃない。

わたしはそんな天使のような人ではない。

白衣の天使なんて幻想に過ぎない。

見返りは遠慮なく頂いている。

こうして何十年経っても、

色褪せることなく取り出せる、

記憶というお宝を受け取っている。

give  and  take  

目には見えないその類のお返しを、

山のように頂いていることが、

わたしを支える真の豊かさであり、

最後に残る資産だと思う。

 

※ 今回の物語もノンフィクション。

真実の物語は美化しなくても美しいが、

骨髄移植を手がける無菌室での業務では、

大半のナースが鬱に陥る。

相当ポジティブなスタッフでさえも。

まめにローテーションを組んで、

ポジションチェンジしないと身が持たない。

互いに血を流し精神を崩壊させながら、

懸命に生きた時間が背後にあることを、

追記しておきたい。

ドリカムの「笑顔の行方

あの時のような微笑みをもう一度、

取り戻せるかもしれない。

17年前と同じ笑顔は無理だとしても。

同じ笑顔はできなくても…。

この言葉で思い出したのが、

ドリカムの「笑顔の行方」だった。

最後は懐かしいこの曲で締めよう。


www.youtube.com

デビュー当時の吉田美和さんが新鮮すぎ。

昔よく、声が似ていると言われて調子に乗り、

カラオケで毎回嫌というほど歌っていたドリカムの曲。

今でもほぼ全曲歌えたりする。懐かしい。

おわりに

他人が見てどう思おうと知ったことか。

まず自分が鏡を見たくなるような顔でいよう。

不細工でもいい。

細部は気にせずテキトーでいい。

幸い老眼で自分でもシワが見えない好都合。

目にたっぷり光を入れてさえいればいい。

母ちゃんが言ったように、

なんとかなるかもしれない。

10月最後のハロウィンの夜は、

ひとつのサイクルの終わりの日。

明日からの生まれ変わりを楽しみにしつつ、

今月もいろいろあったが、

生きているだけでよしとしよう。

では、また!

最後まで読んで頂きありがとうございました。