みぐるみん

身ぐるみ脱ぎ捨て自由に生きる。おひとり様引退ナースが人生でやり残したことをやるために創った空間です。

「マヤ暦52歳生まれ変わり説」から社会の闇とメンタルヘルスを考える(オマケに野鳥ロミオ写真)

こんにちは。mimikobitoです。

はじめに

ずいぶんと日が長くなりましたね。

暖房効率を考えて、

一番狭い四畳半部屋で

西向きのすりガラス越しの

暮れゆく空のグラデーションを

頬杖をついて眺めていました。

さっきまで庭で野鳥のロミオと

語り合って遊んでいましたが、

日没独特の感傷に襲われました。

ここからは語尾を変えて、

書きたい気分なのでそうします。

マヤ暦52歳死亡説でわたしはどう死んだか?

マヤ暦では

人は52歳で一度死ぬそうだ。

あくまでそれはメタファーであり、

私はそれを少し期待しつつも

生き延びてしまっている。

ちょうど1歳7ヶ月というところだ。

何かが死んだとすれば、

明らかに古いわたしの固定観念だろう。

わたしの52歳

聴覚過敏症の耳で、

父の趣味の木工用機械音を

3年以上ほぼ毎日聞かされた。

ほとんどノイローゼ状態だった。

父には人の痛みが自覚できない。

先天性な障害に入るレベルだと思う。

罪悪感など微塵も感じない機械人間。

明らかにAIの方が感情豊かだ。

感情をぶつける場がないまま、

内側に向かう狂気を蹴散らしながら

わたしは声を殺して生き延びた。

拷問のような機械の不協和音が

心臓の鼓動を乱し不整脈に苦しみ、

精神が最も崩壊したのが

ちょうど52歳だった気がする。

母親の52歳

我が母親が余命半年宣告の

ステージ4の乳癌手術をしたのも

ちょうど52歳だった。

当時は乳房全摘出術するのが定番で、

母自身がそれを望んだ。

わたしは訳ありで執刀医と知り合いだった。

医療従事者同士の了解のもと、

オペ直後の術後家族説明の際、

膿盆というステンレストレイに乗った

切り抜かれた我が母の乳房を

わたしはありのまま見ることになった。

涙は出なかった。恐怖ももちろんない。

だが、わたしに初めての栄養を与えた

その乳房に張り付いた癌の塊を、

客観的にこの目で見届けた心境は

とても複雑で特殊だったと思う。

52歳を超えた後のわたし

そんな牢獄から脱して

空を見上げられるようになったのが

生まれ変わった53歳という2021年であり

ブログを始めた記念すべき年だった。

マヤ暦の教えは実際どうだったか?

こじつけて都合よくとれば

まんざらデタラメでもないかもしれない。

確かに一度死んだと思った。

愛する人も物も無くなった。

苦しすぎてもう地球はこりごりだと、

終止符を打って安堵した気がする。

父と二人の機械仕掛けのような

言葉のない見守り介護暮らしが

実質同じように続いていても、

父が同じことを延々繰り返しても、

もう闇に飲まれなくなった。

わたし自身が根こそぎ変わったようだ。

わたしが見た社会の闇の一部

52歳生まれ変わり説には

きっと多くの証言があったのだろう。

星の配置などわたしには

サッパリわからないが、

明るさを取り戻し生まれ変われたから

結果オーライだと思う。

同じことを繰り返し書いてきたため、

昔から読んでくださっている方には

くどいかもしれない。申し訳ない。

しかし…ありがたいことに、

最近新しく読んでくださる方も増えた。

はてなの中で書かせて頂く場合、

読者さん自身がほぼブロガーであり

情報発信者ということだから、

一般社会の空気感とは違う気がする。

自分で声を上げられるような方々は、

それだけで個としての存在価値を

きちんと自覚されている。

初心者の自分から見て素晴らしいと思う。

広く浅い闇

既にご存知の通り、

わたしはナースとして、

ファーストエイドの現場にいた。

引退前の健康管理室業務は、

大半メンタルケアといって過言ではない。

そのぐらい世間は心を病んでいた。

ハートは極限まで追い詰められ

あちこちで悲鳴が聞こえてきた。

普通に家庭を持つ子育て中の30代男性が

ただ過ごして帰ってくのを見守った時期がある。

何か言いたげなのを堪えるでもなく、

わたし一人待機の健康管理室をただ訪れ、

静かに持参した昼食をとり仕事に戻り、

夜はまた家庭へと戻っていく。

吐き出したい言葉すら見つからない。

親切で真面目な彼はそんなふうに見えた。

わたしは何も無理に聞き出さないし、

どうしてあげようもなかった。

ただの「空間としての逃げ場」の守り人。

狭く深い闇

救命救急センターでは、

明確な犯罪レベルの事例を目にしてきた。

熱湯を張った浴槽に抱えて浸された赤ちゃんは、

処置中に体を押さえる役のわたしにさえ

ほんの数十分で懐き、離れようとしたら

わたしにしがみついて泣きじゃくった。

自分を押さえつけた初対面のわたしに対して。

人間の本能というか母性の防衛能というか、

人生でこの時ほどやりきれなかったことはない。

それほどまでに愛情に飢えていたその子を、

仕事など放り投げてすぐにでも、

抱っこして失踪してやりたい気分だった。

ちなみにこのケースはきちんと

警察に通報して対応してもらった。

赤ちゃんは集中治療室入院となったが、

救急車に付き添った両親は終始無表情で

「風呂に落ちた」事故だと言い続けていた。

手足が無事で体幹だけにヤケドなんて、

誰が見たって不自然だというのに…。

この両親を追い込んだ何かもまた、

深い社会の闇のどこかに存在している。

惨劇ばかりに触れた30年だった気がする。

そして社会ではさらにそれが激増し、

悲しい事件が増えている現状。

どうしても目を背けられず、

こんなことを書いてしまう自分がいる。

 

先程書いたわたしの家庭の事情と

似通う範囲の悩みも溢れていた。

もちろん犯罪レベルの悩みを

打ち明けられることも多かったわけで、

受け止めるには相当タフでないと

相談者と共倒れになる。

境界線を引くのは上手くなるが、

それでも一人の人間として

情を抜くことはできなかった。

自分だって偉そうなことは言えない。

こんなダメな側面を抱えて生きていると

正直にさらけ出したとき初めて、

相手の緊張が緩んだ気がした。

クールで客観的立ち位置も必要だが、

自分の人間臭い愚かさや闇を、

隠さず表現することで救われる人もいた。

だからというわけでもない。

わたしはもうナースではない。

神でも天使でもない、

普通にまともな善い人でさえない。

自分最優先の社会不適合を選んだ

ただの新米おばさんブロガーなのだ。

たまに昔の気質が出てきて、

こうなるけれど、どうぞお許し願いたい。

おわりに

まさか今日こんなテーマで

語るとは思いませんでした。

野鳥のロミオを庭で追いかけ回して、

ほんのチラッとだけ写真に撮れたので、

それを書こうと思っていたのに。

しかし、湧き出す言葉には意味があります。

母の乳房の癌を思い出した時、

新たに繋がったことがありました。

みなさん、これほど癌が多い近年、

「心臓癌」がないことに

お気付きでしょうか?

厳密にいえば癌ととられるような腫瘍も、

あるにはありますが非常にレアなケースです。

母の乳癌は左側で心臓に一番近い場所でした。

わたしはハッとして穏やかな気分になりました。

神聖な心臓のエリアを守るために、

乳房が盾になってくれたんだと

思うようにしようとね。

なぜなら母は…余命半年宣告の前例を覆し、

術後14年も生き抜きましたから!

「心臓の神秘」探求の一環として、

「心臓癌がないのはなぜか?」について、

またどこかで触れたいと思います。

オマケ写真!野鳥のロミオ氏初公開

では、最後にチラリと「野鳥のロミオ」の姿、

初公開で終わりにしたいと思います。

ロミオってなんやねん?と、

怖いもの見たさでふと思った方はこちらをどうぞ⬇️

mimikobito.hatenablog.com

 

ただ存在しているというだけの写真です😅

次はもっとちゃんとしたの撮りたい!

f:id:mimikobito:20220121212102j:plain
f:id:mimikobito:20220121211840j:plain

黄昏れる野鳥のロミオ氏…

毎日必ず会いに来てくれます❤️

では、また!

最後まで読んで頂きありがとうございました。