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ナース生活28年が崩壊して5年

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記事のテーマを入力していたら、

「教師生活25年…」

昭和アニメ『ど根性ガエルに出てくる先生の名セリフをふと思い出した。

セリフだけはスルッとでてきたが、さすがに先生の名前まではでてこない。

どうしてもスッキリしないので検索して確認した。

それが「町田先生」だったとわかったことよりも、

検索している人が、他にもいたことのほうがちょっと嬉しい。

子供の頃「25年」と聞いてもピンとこなかった。

 

ナース生活28年

そりゃあ町田先生より長いけど、

それが長いのか短いのかなんて本当は今でもわからない。

時間という概念は、それほどまでにあやふやだと感じる。

 

そう、私は2016年までごく普通のナースだった。

公立総合病院のERからスタートし、救命救急・集中治療室には6年ほどいた。

ごく普通といっても20歳そこそこの女子が、毎日血まみれの異次元空間で味わった日常は

非日常的かもしれない。正看護師資格の正社員範囲内では6回転職した。

普通の一般病棟・小さな町のお医者さん・看護学校の講師と実習指導員…。

広く浅くいろんな医療現場を放浪した。

その後、看護業界にも派遣というシステムが導入される。

待遇も収入もはるかに低かった派遣看護師だが、

闘病中だった母親の病状に合わせて契約・勤務調整ができる点を最優先し、

自分を売り込んでは仕事を取り、複数の職場を転々とした。

老人施設・企業の健康管理室など長期契約に、イベント救護班アルバイトを組み合わせた。

カチコチの公務員集団の中にいたこともあり、安定という贅沢な縛りの息苦しさよりも、

自由な感じがした。それでも所詮は専門職という井の中の蛙。世間知らずの勘違い。

贅沢しなければ一人で食べていけるだけの生活を維持していたが、

マンンションのローンはなくならない。

母を看取った後は、7年ほど企業の健康管理室で委託契約社員として食い繋いだ。

 

現在の私はもう専門家でもなんでもない。ただの病んだ「こびと」だ。

人様の命を28年背負ってきたせいか、自分の命に目を背けたまま生きていた。

きれいごとの使命感とか奉仕の精神とか自己犠牲とかいうのじゃなく、

単純に人の命は重すぎて、自分にかまうゆとりなどなかった。

広く浅くを選んだ自分がおバカなのだが、勉強することが次々と押し寄せて、

覚えても覚えても新しい医療機器や薬が登場する。

まるで銃口をこめかみに当てられながら勉強していた感じだった。

「あなたが知らないということだけで、人が死ぬんですよ」

そうだ、自分が無知なために見落とすほんの些細な症状で人が死ぬのだ。

自分がちょっとうっかりしただけで人が死ぬのだ。

常に完璧でなくてはならない。絶対に失敗は許されない

そんなことは医療従事者なら当たり前で、

今も頑張っておられる同僚や医師の皆さんからすれば、私は甘い。

ちゃんとみんなみたいに頑張らないと…私だけ楽をしてはいけない気がしていた。

だから28年間心身ともに崩壊するギリギリまで続けてしまった。

 

私はアデリーペンギン並みに多動だと以前にも書いた。

昔に比べるといろいろな分類ができている。

例えばHSP(Highly Sensitive Person)という性質が有名だろう。

「生まれつき敏感で周りからの刺激を過度に受けやすい繊細な人」らしい。

私は現在も感覚過敏であり、嗅覚・聴覚・触覚・味覚を強く感じるほうだ。

老眼のせいもあり日常で文字を読むのに苦労する視力低下は伴うが、

過剰に明るい場所だと光を強く感知してしまうので疲れやすい。

常に神経が興奮してセンサーが過剰反応する。

剥き出しの脊髄を撫でられるように感じることも多かった。

その度にもうこの肉体を脱ぎ捨てたいと思った。

煮干しの頭とはらわたを取るみたいに。

いや、イカの頭を引っ張った時みたいなイメージだろうか?

とにかく誰か私の頭をクイッとひねって脊椎もろとも引っこ抜いてくれ!

そう叫びたいことが何度もあった。

 

しかしデメリットばかりじゃない。感覚過敏が役に立ったこともある。

可能な限り患者にナースコールを押させない。

だいたいみんなしんどい人ばかりなのだから。

走り回っているナースに気を使う人も多かった。

だから相手がコールを押す前にさりげなく訪室するとか、

なんとなく気配や仕草で感知して、先回りして対応した。

それは超能力でもなんでもない、同僚もごく普通にそういう感覚だったと思う。

異常の早期発見にも役立った。ある医師がよく言っていた。

「俺の場合ナースさんの”先生なんか変なんです”っていうのが一番確実な指標なんだよね」

まだ男性看護師が少ない時代のこと。女の勘というか直感というか。

 

そうやって無自覚なまま感覚過敏とともに歩んできた私だが、

自分の神経にも限界があることを知らないおバカだった。

どんなにズタボロの3交代変則勤務であろうと、

自分から飛び込んでいく落ち着きのない懲りないやつだった。

これは一般的なHSPとは違っていた。

そして「HSS型HSPという分類があることを知った。

HSS(High Sensation Seeking:刺激探求型

人口の約6%というレアなタイプだそうだ。

敏感なくせに刺激を追い求めてしまうタイプ。

もうこれしかないだろうというぐらい納得してしまった。

仕事の速い優秀な同僚の中では比較的のんびり屋キャラだった私は、

なぜこんな向いていない部署に当たってしまったのだろうと嘆いていた。

しかし33年経った今、ようやくそれもあながちハズレではなかったと気づいた。

刺激と変化の多さでは救急外来がダントツだった。

私にHSS型HSPの気質が備わっているとすれば、適材適所だったのかもしれない。

現役の頃は必死でそんなこと考えたこともなかったが。

ただ、自分自身をなんらかのカテゴリーに分類してしまうのは苦しい。

どんな自分も固定しないほうが性に合うから。。。

 

 感覚過敏だけならまだナースを続けられたかもしれない。

しかし化学物質アレルギーだけはどうしようもごまかせなかった。

更年期に入って急激に症状が悪化してきたのだ。

香料や刺激の強い薬品で喘息発作を起こすのも一つの理由だが、

それより困るのは有効な手洗いと手指消毒ができなくなったことだ。

手の甲からは常に血がにじみ、その時点で患者にとっては不潔となる。

いくら手袋をしても、現実的には頻回の手洗いとセットなので無意味だった。

手洗いを適当にやって大丈夫なふりができるほど、まだ私の良心は腐っていない。

そこまでしてこの職にしがみつくほど落ちぶれてはいない。

自分の胸に手を当てて少しでもやましさがあれば潔く断ち切る。

安定した28年間を完全に捨て去るのは勇気がいったが、

後悔はしていない

 

しばらく頭が混乱して整理がつかなかった。

いったんリセットして忘れてしまいたかったのかもしれない。

自分がナースだったことさえ忘れるほど病んでいた。

 

こんな時代だ。多くの人がいろんな事情で仕事を失ったり、

生活の変化を強いられて苦しんでいる。多くの方々の生の声をずっと聞いてきた。

聞いてあげることしかできず、結局最後は受け止めきれずに

自分が病んでしまった。

しかし、病んだ自分を敗北だと思ってはいない。

それは病んでいる全ての人々に対してもそう思う。

自分のタイミングで立ち上がれる日は必ず来る。

崩壊した後には必ず新しい道が現れるから。

 

今日は自分のために書いた。ここを整理しないと先に進めない気がしたからだ。

今後医療関係の記事に触れるつもりはないが、

あえて自分の一部を隠す必要もない。これも自分だから。

あぁ…ど根性ガエルから始まったんだった。

カエルか。ケロロくん繋がりかな。