匂いと記憶の研究ごっこ
匂いと記憶に関する文献は数えきれないほど存在している。
それが密接に紐づいていることぐらい常識だと言わんばかりの資料が溢れている。
今更ながらこれに触れるのは、ここ数年日常生活で頻繁に体感するからだった。
私の嗅覚過敏は更年期の不調に伴って強くなったのだが、それ以前から自覚はあった。
お日様の匂いだけではない。好き嫌いの認識だけではなく、もっと詳細な情報が呼び起こされて驚くことがしばしばある。
実家という幼少期を過ごした場所に引っ越したことが大きいのではないかと思う。
まだコロナが発生していない頃、抑うつ状態を改善させる運動のためよく歩いた。
行き先も決めずにひたすら徘徊する間、風に漂ってくるほんのわずかな匂いで記憶が呼び起こされる。
「中学2年の時に同じクラスだった〇〇ちゃん家の玄関の匂い」
「小学校低学年の頃お気に入りだったスヌーピーのボックスタイプの手提げカバンの匂い」
実際に同じ匂いを嗅ぐことでその情報や映像としての場面が出てくるパターンと、
関連した何かを連想したときに、その匂いを今嗅いでいるように感じるパターン。
関連しているかどうかは無自覚でもデタラメにふと思い出すようなこともある。
何がどうなってか?自分にはわからないトリガーになるポイントがきっとあるのだろう。
こういうことは日常に追われているとどうでもいいことなのだが、
追い詰められて日常という要素を外した世界では、生きる原点トップ5にランクインする勢いで湧き上がるから不思議だ。
この香水はあの人がつけていた香り…みたいなシンプルな直結なら深く考えることもない。
私の膿んだ脳みそが出してくるのは奇怪で複雑なものばかりだった。
思考量が多すぎる弊害だと思う。
匂いは脳みそを直撃する。
嗅細胞が脳とダイレクトに繋がっていることは、ごく普通の医学書でも教えてくれる。
脳の扁桃体(感情や情動の中心)や海馬(短期記憶・認識と関係する)との関係から、
生存本能が恐怖を感知するための大切な働きなのだということはわかる。
確かに、電気もなかったのだから真っ暗闇では視覚に頼れないし、周りがうるさければ聴覚も完璧とはいえない。
嗅覚がいちばん状況に左右されないのだろう。
匂いは太古から安全装置みたいに私たちを守るシステムだったようだ。
老化に伴って視力と聴力は低下するが、嗅覚と味覚は細胞がターンオーバーして生まれ変わるため維持できる…
みたいなことを、ある文献に書いてあった。
ちゃんと影響を受けにくい部分が危険を察知する最前線任務を任されているのか?
体というのは本当にうまくできていると思う。
特定の匂いがそれに結びつく記憶や感情を呼び起こす「プルースト効果」という言葉もある。
紀元前4世紀のアリストテレスもそれを追求していたようだ。
科学的にどうであろうと、私は学者ではないから他者を説得できるようなメカニズムを追求しても仕方ない。
ただ日常で自分の体感として得られる情報が、自分だけの哲学を味わい深くしてくれることが楽しいだけだ。
コロナと嗅覚味覚障害との関連も興味深いが、まだ正式にメカニズムを断定できないようだ。
これも妄想に過ぎないが、目に見えないものこそが歴史を動かす主役なのかもしれない。
みんなが同じ番組を見て同じ情報を聞いて同じものを選ぶ。それを流行とかトレンドとかいうのはかまわないが、
自分だけのトレンドを持っている人が私は好きだ。
みんなに変人扱いされながら胸を張り我が道をゆく人が大好きだ。
私もいつかそんな自信を身につけたい。
連続匂いネタになった。ハマりすぎると面白くないけど大丈夫。
どうせまた、一夜明けたら別の「こびと」が自己主張してくるだろうから。