みぐるみん

身ぐるみ脱ぎ捨て自由に生きる。おひとり様引退ナースが人生でやり残したことをやるために創った空間です。

「言葉」という地球の生き物 [ 柳木さんのブログに学ぶ ]

こんにちは。mimikobitoです。

今日のテーマは「言葉」です。

テーマがテーマだけに活字メインです。

はじめに

このテーマを与えてくださったのは、

大切な読者さんのおひとりでもある、

柳木イドムさんでした。

yanagiidomu.hatenablog.com

ちょうどわたしは今、

話し言葉」というツールを封印しています。

…とかなんとかいうとカッコイイですが、

単に会話のない家庭にいるだけです(笑)

こんなわたしだからこそ追求できること

特殊な家庭環境

以前にチラッとご紹介したのですが、

わたしが今同居している高齢の父は、

言語設定された機械のように、

公的に常識とされる社交以外の会話はしません。

自主的に家族との会話を持たない特殊な人です。

こちらから話しかければ反応してくれます。

英語で習いますよね。

5W1Hの質問形式。

何を?なぜ?どこで?…というやつです。

その形式での会話が成立しづらく、

社交上なんとか続いたとしても、

近親者に対しての努力はしません。

自分の意思を言葉を使って、

伝える訓練をしてこなかっただけなのか、

先天的な欠損なのかはわかりません。

親である祖母は隠したかったのかもしれず、

その特性が生かされる仕事に就き、

定年までそのままで社会に通用してきたのでした。

運のいい人ですね。

それで食べさせてもらった恩は忘れません。

その恩と感謝の意が時に曲者だったりします。

別に何を我慢させられることもなく、

「言葉がないだけ」で、

なに不自由なく物も買ってもらえて、

家も土地もあって暮らせたのですから贅沢です。

母もわたしもそう思いました。

恵まれているのだから感謝しなければいけないと。

そんな父を気遣う家族は、

YES or NOで答えを返せるパターン以外は、

嫌がって避けるので無理強いしなくなりました。

は?…はいはい?

それで何が問題なんですか?

恵まれた家庭じゃないですか?

そんな小さなことぐらい、

今もそうやってあなたが工夫して、

話しかけてあげればいいだけでしょ?

意地悪してるんですか?簡単なことじゃないですか?

お年寄りなんだから敬わないと。

何十年にもわたって、

家族は創意工夫しました。

父には学ぶチャンスが何度もありました。

親である祖母でスルーし、

妻である母でスルーし、

娘であるわたしでもスルーする。

同じことを3世代3人に対して、

学ばず繰り返してしまった父

祖母のように過保護にすれば調子に乗り人を見下し、

母のように経済的に服従すれば支配的になり、

娘のようにどんどん話しかけて、

何十年もかけて意見交換の場を作れば、

逆に学ばず天下泰平だと満足し、

人の傷みに気付けないまま老いてしまいました。

津波に流される東北被災地のテレビ映像を、

映画のシーンと同じように、

所々笑いながら見れるその神経が、

わたしにはどうしても許せなかった。

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手法も強弱も変えて試行錯誤し、

やれるだけはやり尽くしました。

自分に神経をすり減らすゆとりがあれば、

まだ諦めずに関わることもできるんでしょうが、

通常は能天気なわたしにも人生の節目はやってきた。

怒涛のように更年期の体調不良が巻き起こり、

自分を支えるだけで精一杯のここ数年。

自分を深掘りするために、

親を深掘りして客観的に研究することは、

有効で無意味じゃありませんでした。

しかし自分の幸福を犠牲にしてまで、

父という一家の主人にとって何ひとつ申し分のない、

使い捨てのドラマのセットみたいな、

ハリボテ環境の一部になりたくなかった。

自己犠牲は美徳だという固定観念に、

わたしは大人げなく抵抗し続けたのです。

うさぎやキジと傷を舐め合ってかばい合うように。

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そんな愚かなわたしも気付きます。

学ばない学びたくないと抵抗する相手に使うエネルギーを、

別の場で使いたいと思うようになりました。

可能な限りギリギリまで相手には干渉しない。

いつも先を読んで気疲れしがちだったわたしは、

父の方式を学びました。国や役所と同じ方式です。

相手からの依頼があれば対応するという父のルール。

頼まれていないことや、

確実に予定の決まっていないことはやらない。

母が癌転移のため腫れた腕で重い荷物を運んでいる時、

どうして隣にいる父は気付かないのかが不思議でした。

しかし父のルールでは「荷物を持ってください」と、

頼まれていないから持たなかっただけです。

平然と本人の隣を歩ける神経構造の謎はそこでした。

罪悪感など微塵もないのです。

父のシステムに合わせると、

最初は見て見ぬ振りみたいでストレスでしたが、

うちの父娘関係に限定した場合には有効でした。

何も変えたくない、動きたくたない。

じっと何も言わずにただ見ていれば、

誰かが腰を上げてやってくれてなんとかなる。

80年以上そうやって同じパターンで、

物事がうまく進んできたんでしょうね。

『余計なことを言わずに黙ってみんなと同じことをしていればいい』

父は父の時代の資質に適応できていただけです。

わたしの方が異端だったと思います。

それが彼らの受けた教育の結果であり、

この国の結果として目の当たりにしている、

現実社会の闇の姿だと感じます。

父に対し過剰に反発する自分を憎み、

無意識下に押さえ込んで封印してきました。

これが正しいマトモな家庭なのだと、

言い聞かせていい娘を演じました。

自分の本心を裏切る罪悪感を積み重ね、

個人的に悩み苦しむ段階は20代がピークでしたね。

バレないよう強固に良い子良い人の着ぐるみを着て、

ハリボテの評判良い家族を守るため、

血のつながりだけに執着する親族にひれ伏して、

依存と支配で自分を縛るのはもうやめました。

見えにくい家庭の闇の一例として

わたしは「お父さんと日常会話をする」という感覚を、

全く知らないまま育ちました。

食事中の父の視線は常に、

テレビ番組の画面に一点集中でした。

食事どきは決まったクイズ番組などで、

答えを口にして正解だと嬉しそうで、

不正解だと問題にケチをつけたり、

自分より正解率の悪い出演者を見下しました。

毎日同じパターンの繰り返しでした。

食卓で父の真向かいが定位置だった幼いわたしは、

常に視線が素通りする状態で過ごしました。

要するに「無視されている感覚」ですね

父自身には全く悪気がありません。

言葉をかける以前に、

存在すら視界に入れてもらえない。

小さな歪みが過敏な神経を蝕み、

やがてわたしは一過性の摂食障害を起こします。

幼少期から状況を察知していた母は、

その陰湿さをカバーしようと、

天真爛漫な太陽になって、

全力で愛情を注いでくれました。

柳木さんの記事に共感した理由

もし、母の愛情がなかったら…。

わたしは命を落としていたかもしれません。

だからこそ柳木さんの記事を読んで、

亡くなった赤ちゃんの気持ちが、

痛いほどわかりました。

(詳細は上記の柳木さんの記事をご参照ください。

簡潔明瞭にまとめてくださっているのですぐに読めます)

実は以前にこの実験のことを、

別の文献で読んで知っていました。

痛いところをピンポイントでえぐられるためか、

その頃はスルーしていました。

まだ向き合う強さがなかったんでしょうね。

見て見ぬ振りをした課題はちゃんと、

受け止められる準備が整った最善の時期に、

現れるものなんですね(笑)

「言葉のない日常」を生きながら、

発語の代わりに活字に想いを込めながら、

言葉の大切さを噛みしめ学んでいるところです。

人生で最も厄介でめんどくさくて大嫌いで…、

なのに、人生で最も繊細で奥深くて…、

どうしようもなく愛さずにはいられない、

「言葉」という生き物とちゃんと向き合いたくて、

今回の記事を書くことにしました。

柳木さんには、記事の言及に快く応じて頂き、

心より感謝しております。

言葉の持つパワー

実験の赤ちゃんは申し分のない環境で、

栄養も不足せずお世話をしてもらっていました。

ただ「言葉だけを抜いた」実験でした。

お世話に伴うスキンシップもあったはずでした。

ひとりぼっちじゃありませんでした。

物理的にちゃんと人がいて世話をして、

ないのは「言葉だけ」でした。

それはまるで我が父親の姿そのものでした。

ちゃんと毎日に規則正しく仕事に行って、

家族を養ってくれた真面目ないい父でした。

ないのは「言葉だけ」でした。

健康管理室での生の声

世間でいちばん多い類の苦しみは、

わたしの体験程度の層にあるんじゃないかと思います。

実際に事件に発展して問題視されたケースでさえ、

この国では喉元過ぎれば…で、

いい意味での時間の解決が全てを水に流してしまう。

みんなそうでもしないとやってられないのです。

もちろんわたし自身も

企業や大学の健康管理室勤務の頃、

特別な心理カウンセラーさんもいて、

万全なフォロー体制があったのに、

スタッフも学生も大半は、

ただのナースである我々のところに押し寄せました。

いきなりプロに心理鑑定されるのは緊張するそうです。

他のナースはしっかり対応していたでしょうが、

わたしの場合、彼ら彼女らに何もできなかった。

聞いてあげるしか、吐き出させてあげるしか。

「かける言葉」が見つからなかったのです。

いつも頼りないダメなやつだなと撃沈しました。

それでもいろんな人が訪ねてくるようになりました。

どこかで書いたと思いますが、

わたしはナースとして人を癒せたことがないと。

人は自分で癒して自分で勝手に治って出ていくんだと。

乱暴な言い方ですが、本当にそんな感じでした(笑)

人って強いな…素晴らしいな…。

こちらが学ばせてもらうばかりでした。

じゃあ、あなたも無言で聞いてただけの受け身じゃん?)

(あなたのお父さんといっしょで…)

(父親のかける言葉なんかなくても関係なかったかもよ?)

そうかもしれません。

ひとつだけよく使っていた言葉を覚えています。

「そうか。つらかったなぁ」

それ以外は覚えていません。

隣に腰かけて聞いていただけでした。

学生仲間から陰湿ないじめを受けて、

過呼吸パニック発作で来た女の子がいました。

一度だけ感情を同化させすぎて、

わたしは彼女と一緒に泣いてしまいました。

その時の彼女の驚いた顔と、

天使みたいな優しい目で微笑んだ表情が、

今も頭に焼き付いています

女神か精霊か?と目をこすりたくなるほど、

とびきり美しい笑顔でした。

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過呼吸パニック障害は年々増えています。

背後にあるのは抑え込まれた声にならない声です。

表立ったニュースにはならないかもしれません。

しかし水面下で苦しむ若者や働き盛りの人々が、

とんでもない数に膨れ上がっている現実を、

多くの人に知っていただきたいと思います。

おわりに

「言葉」には間違いなくエネルギーが宿る。

有意義な地球オリジナルの文化だと信じています。

長さや量も使い方で次第で効果を発揮します。

温かい言葉のシャワー、連呼賛成!

くどいぐらい叫び倒してみるのもアリでしょう。

一見上滑りで意味なんかなく思えても、

自分に向かって誰かが一生懸命喋ってくれるとき。

「結局何言いたいんかさっぱりわからへん?」

…そう思って気が抜けた時点で、

それこそが癒しだったと気付いたりもします。

逆に短く放たれた深くしみる言葉も当然アリでしょう

言葉を練り込んだ目や顔の表情も、

同じ方向を向いて座ってくれることや、

何より自分から逃げないでいてくれること。

当然そうした非言語的要素が絡み合うわけですが、

文章の上手い下手なんてどうでもいい。

「生きた言葉」を使いたいですね。

血の通った、気の流れる言葉を。

発語として使い、活字に託し、相手の核に届く言葉を、

大切にしたいと思いました。

そして言葉の持つ強烈な炎の使い方と矛先を、

調理に使うのか放火に使うのか…。

人類の真価が今、問われている気がします。

母のおかげで救われたわたしも、

完全にまともとは言い切れずトラウマもあります。

結婚というシステムに対してひどく恐れを抱き、

結婚しそうにならないよう空気をいち早く察知し(笑)

脱兎のようにシステムから逃げ回りながら、

今日までひとりの空間を守り抜いてきました。

それは明らかに「言葉への渇望」であり、

幼少期の愛情の枯渇を引きずる歪んだ自分の姿でした

「言葉」という生き物が人生を左右することだけは確かです。

そして、一字一句もれなく聞いているのは自分自身です。

常にきれいごとばかりじゃ生きていけませんから、

辛い時にはひとりの空間で、

本音をぶちまけてみてもいいでしょう。

紙に腹の底の言葉を書き殴って捨てたりとか。

独り暴言を聞かされた自分自身を傷つけないように、

もちろんフォローもしてあげますよ。

言葉との付き合い方が歪んでしまった残念な自分も、

時速70キロで脱兎のごとく逃げ切った自分も許してやります(笑)

おまけの個人研究結果

自分がやっている実験結果をあげます!

数年単位で日常会話をしない大人はどうなるか。。。

  • 独り言が増える(これは普通の一人暮らしでのあるある)
  • 動植物や物と普通にしゃべろうとする(これもありがち)
  • 自分と深く向うと共に気軽な対話もできる(ブログの吹き出し状態)
  • やたらと文章(物語)を書きたくなる
  • 活字に込めるエネルギーを大切にするようになる
  • 会話に使う言葉をじっくり選べるようになる

わたしのような変態であっても、

人は言葉の交流を渇望して、

自動的に動くようになるという結果が出ました!

まだ未熟でおしゃべりだった時期には、

天真爛漫すぎる失言も多々あったわたしです。

ノリで放った言葉で繊細な人を刺してきたかもしれず、

反省ばかりの人生前半でした。

今でも気が散る落ち着きのない人間です(笑)

ちょっと行き過ぎぐらいの沈黙期間が、

わたしの成長に必要だったのかもしれません。

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いやいや…すっかり長くなってしまいました。

みなさんも辛い時にはわたしのように、

柳木さんのブログで癒されてくださいね!

最後まで読んで頂きありがとうございました。