みぐるみん

身ぐるみ脱ぎ捨て自由に生きる。おひとり様引退ナースが人生でやり残したことをやるために創った空間です。

久しぶりに昼間のスーパーへ行った話からタブー寄りの話に飛びました。

こんにちは。mimikobitoです。

先にお伝えしておきます。

今日は濃く長くクドイです(笑)

はじめに

北海道を始め各地で、

大雪による影響が出ていますが、

みなさん大丈夫でしょうか?

昨日、我が家のある瀬戸内沿岸部は、

日中厚着で動くと汗をかくほど

暖かく良いお天気でした。

同じ小さなこの国で、

大雪に苦しんでいる方々がいるのに。

いくらかこっちに回してもらえるなら…

無理とわかっていながらも、

そんなことを願うこの頃です。

特殊なひとりの世界

しばらく自分と静かに対話していました。

当たり前すぎて麻痺していましたが、

昨日気づいたことがあります。

スーパーへの買い物はいつも夜でした。

田舎なので21時頃ならガラガラです。

なるべくまとめ買いしていますが、

災害備蓄の乾物なども消費するので、

あまり買わなくても生き延びられます。

昨日は天気が良かったので、

気分を晴らすにはちょうどいい。

日中に敷地外へ出るのは久しぶりでした。

小春日和の中を歩く気持ちよさ。

 

スーパーのレジでハッとしました。

後ろにいた高齢の女性が、

レジの女性店員さんに乱暴な口調で

なにやら急かしている。

するとそこに二人の女性が合流して、

割り込むかたちで商品をカゴに追加…。

マスクをしていても親子3世代だとわかりました。

祖母、母、娘。

たぶん、80代、50代、30代いづれも後半。

わたしは不思議な気持ちになりました。

ギリギリ30代で母を亡くしたうえ、

未婚で子供のいないわたしには

到底あり得ない構図でした。

素朴な驚きのような感覚でした。

彼女達はこの後外食に行くと言っていました。

こういうのが普通の世界なんだなと、

自分が本当に本当のひとりなんだと。

きっとわたしは未だに母が恋しくて、

寂しかったんだろうなと素直に思いました。

うわっ…この類の寂しい感情を認め、

素直に言えたの初めてかもしれません!

これはとてもいいことですね!

 

しゃべらない老いた父一人が

頑なに自分のペースを維持しています。

老いが受け入れられず

施設に通う隣人を蔑み、

危なっかしいことをやり続ける日々。

娘ひとりが無言で監視する特殊な家庭で、

発狂しそうな異様さを生きている、

自分もまた完全に常識を逸しています。

スーパーで会った三人の女性からすると

異次元だろうな、と思いました。

町内会という村社会の闇

田舎なので敷地がわりと広いですから、

庭で自然の木や野鳥と触れ合えます。

縁側で日向ぼっこも可能ですが、

田舎特有のプライバシーの欠如が…。

敷地出入り口に門がないので、

町内の高齢男性が勝手に庭に出入りする。

長年実家を離れていた私にとっては、

不審者でしかないのですが…。

オートロックのマンションの6階に

住み慣れてしまっていたので、

洗濯を干していて知らない男性が

ふとそこにいたとか…ありえなかったのです。

正直、ビクッとしてマジで怖いのです。

 

一度、草刈り作業で汚れたままの手で、

家の裏側にこっそり干していた洗濯物を

かき分けるように触って侵入してきた

町内会の高齢者にキレそうになりましたが、

寸前でなんとか怒りをこらえました。

なんだそのぐらいのことか…、

地元の常識に合わせろと言われそうですが、

古い「村社会的な男性本位」は迷惑です。

若い40代ぐらいまでの男性の方が、

わたしから見ると断然マナーがよく気が利きます。

もちろん中高年という一括りでは言えません。

さすが尊敬!カッコイイおじ様方もいますからね。

 

セクハラもパワハラも騒がれなかった時代は、

いい意味で緩くておおらかでした。

あまり調子に乗るとピシャリと返しますが、

少々のオイタなら仕方ないなぁ〜という、

甘やかすゆとりが女性側にもありましたね。

あまりお堅すぎるよりも程よく、

人間らしくていい面が残っていましたが…

反面、甘えて調子に乗ったままの方々が、

未だ自身が裸の王様のままとは知らず、

年功序列の権威を振りかざしておられるのも事実です。

甘やかさない今の女性が悪いというのではなく、

今の経済の苦しさや社会全体の息苦しさなら、

当然ピリピリしてゆとりを持てるはずがありません。

経済の崩壊もまだ感じられない時代背景で、

昔はみんな無知で呑気だったのだと思います。

 

それとは無関係に、田舎の風習にはまだ

女性を見下す文化がしつこいですね。

黙って慣習に従わなくてはならない時代は

もう終わっているのですから。

女性も嫁いびりの連鎖を断ち切って、

長男だけ特別という意味不明な結界から

飛び立つ時が過ぎているはずなんですが。

都会では考えられないでしょうが、

うちの実家周辺ではまだ、

女性を「女中」とか「召使い」のように呼び、

支配する陰湿な旧家が生き延びています。

その特殊な地域性の中で、

わたしと同世代の女性たちは

パートの仕事と孫の世話で忙しく、

井戸端会議をする暇もない。

その代わりに蛍光タスキをかけて

同じ境遇の奥さん友達と夜な夜な

「悪口ウォーキング」でもしないとやってられない。

そりゃ、そうなりますよね。

もしこの土地に馴染めて、

最愛だった母も生きていて、

近所に嫁いでいたらわたしだって

間違いなくそうしていたはずですから。

ちょっとタブーかもしれないこと

町内会という戦争の残り香

町内会というシステムの闇。

これは未だタブーなのかもしれません。

戦争中に勝手な行動をさせないため、

近所で組織を作らせて内輪で監視させる。

村八分は一番怖いですからね。

今のようにインターネットでの交流がなく、

交通手段も限られていれば、

近所付き合いが人生の全てになる。

町内会の前身は、

戦時中の「隣組」だと聞きました。

お国のために喜んで命を捨てろという

美談のための軍国教育。

そこに商業としての仏教が絡んで、

檀家や墓というシステムの縛りができました。

家系という強固な「血と土地への縛り」は、

長い年月をかけて確立されてきたようですね。

もはや誰も疑問に思わないほどに。

墓とご先祖様の存在

比較的宗教観の薄い日本人であっても、

粗末にしてなんとなく後ろめたく心が痛むのは、

「ご先祖様とお墓」だったりしませんか?

無条件で重要に決まってるだろう!と、

袋叩きに合いお叱りを受けそうですね。

たまたま読んだ宗教学者の本にも書いてあり、

わたし個人も純粋に不思議だと思っていました。

わざわざ遺骨を残して、

墓に保管する必要ってあるんでしょうか?

(既存の宗教的な由来や教義はちょっと置いといて…)

みんなが不思議に思わないのが不思議でした。

森羅万象、自然の摂理からすると、

最も理にかなうのは「土葬」でしょう。

文字通り土(地球)に肉体をお返しし、

再び土壌の要素となることですが、

衛生上現代の先進国では難しいですね。

なので、もしも希望が通るなら、

わたしは完全に蒸発するぐらいのレベルで

焼き尽くして何も残さないでもらいたい。

そうすれば仏壇も墓も要らないから。

なぜか値段にランクのある戒名とか位牌とかも。

わたしは天涯孤独で終わりそうなので、

姪や甥の手を煩わせたくないだけです。

大家族で延々引き継ぎたい人だけ続けて、

個人で選べるようになればいいのに。

大昔の記事でも書いたのですが、

こんなご時世で生活も苦しくて、

お墓が持てなくて引け目を感じている方が、

おられると聞いたことがあります。

そんな方に対して言いたい。

本当に故人を想う気持ちに

しきたりなんて枠は要りません。

だから罰当たりだなんて、

不甲斐ないだなんて思わないで下さい。

こんな災害大国で土着にこだわりすぎると、

次世代の足枷を作ってしまうから。

現在経済的にゆとりがあって、

心から仏壇とお墓に手を合わせておられる方は

それでいいのです。高齢の方々にとって、

その儀式は大切な心の支えですから。

しかし、時代は変化進化していきます。

土の時代の古き良きを守ることも大切ですが、

風の時代といわれるように、

身軽になる方へと世界のベクトルが動きそうです。

動こうとする次世代のエネルギーを

邪魔しない心づもりでいたいですね。

今回触れた宗教に関しては、

あくまで現状の側面というか断片であり、

いかなる信仰も個人の自由ですので

宗教そのものを批判するものではありません。

どんな宗教であってもおそらく、

思想の源は全て純粋で素晴らしいと思います。

そして信仰の厚い方々はみなさん純粋で

心の綺麗な方ばかりだと感じます。

全人類の核にある美しいハートは、

本来外界の何にも依存することなく

健康も幸福も自家発電できるはず。

現代医療や薬や信仰で世界中が救われるなら

いつまでも需要が増える一方なのは…

どうしてなんでしょうね?

本当に自分で感じて自分で考えて選んでいるのか?

町内会といえば「日赤」

神道でさえ初詣という商売を後付けしました。

昔はお祭りなども町内の大切な交流イベントで、

参道に並ぶ屋台に子供の頃ワクワクしたものです。

ですから悪だとは言いません。

うちの地域ではお祭りと町内会はセットです。

町内会というシステムは支配に有効でした。

日本赤十字社」もそこにガッツリ食い込んできます。

(ここはあまり深く触れないでおきますね…)

血液は「献血」というシステムを使えば

原料をタダ同然で仕入れられます。

血液もある意味「臓器の一部」と言っても

過言ではありませんが、献血はもはや…

人命を救うための美しい慈善活動ですね。

おかげで多くの命が救われたはずです。

現行の医療の常識においては。

血液製剤についての余談

最も高価な成分輸血の「濃厚血小板」は、

200mlの1パック(10単位)が、

¥97,000〜98,000ぐらいだったはずです。

保険が効いていて分かりづらいですが…。

製造コストが…というのもあるでしょうけど。

血小板は特別高価ですが

成分によって価格は様々です。

いかにも輸血という感じの見た目で、

赤いパックのやつは同じ200mlでも

¥8,000台〜16,000ですね。

一滴でももったいないとヒヤヒヤしたものです。

血液製剤だけでも巨額な市場が、

医療とセットで産業に定着しています。

これは医療産業のほんの一部です。

情報選別の力量が問われる時代

必ずしも専門家の常識やテレビの報道が

正しいとは言えない世界を

私たちは今生きているのです。

自分の感じたことを自分の頭で考え、

なにが自分にとっての正解なのか?

各自が選ばなくてはならない時代ですね。

多数派が正解の時代はもう崩壊しています。

みんなと同じ言われた通り、

「お上」の指示が安心安全と思っていると、

今の政府はあっさり国民を裏切ります。

…と、いうぐらいの気持ちでいれば

期待してガッカリすることもないですね。

しかし、これも全て善悪でジャッジできません。

政府が常に悪とも限らないのですから。

じゃあ、何を信じればいいのか?

突き詰めると「自分の判断と選択」でしょうか。

各自が自分の意思で

「オリジナルの正しさ基準」を持てば、

外界要素に振り回されることはなくなります。

難しいようで、万人にできること。

現行のヒエラルキーにハマらない、

「支配者としてのリーダー」ではなく、

新しい「ただの役割としてのリーダー」を

押し上げられる個になっていけるといいですね。

おわりに

昨日、昼間スーパーに行ったことを

日記として書こうとしただけなんですが。

何をペラってるんだか…(笑)

一昨日珍しく頭痛というものを体験し、

早く就寝して休んだせいか、

芋づる式に文章出ちゃいましたね。

自分でも変なことを言ってると思います。

テレビを見る習慣を捨てた後は、

年間300冊越えペースで読書していたので、

どこかでチラ見した情報がシャッフルされて

点が線で繋がり…不意に変なことを言い出します。

読書で得られるのは「既存の他者の哲学」です。

「知識」とは誰かの「意見」であり、

必ずしも万人にとっての正解とは言えません。

「知識」の刺激を受け、役立てて、

ゼロから「知恵」を生むことが、

大切なんじゃないかと思います。

その「知恵」の集大成こそが、

人生観や個々の思想・哲学ではないかと。

だから丸暗記教育が不思議でなりません。

わたしにとっての読書は、

書かれてあることを鵜呑みにするのではなく、

「人の意見を聞かせて頂く行為」でした。

あ!…いけません…もう止めないと。

沼です沼。

みなさんご一緒に…

手を繋いで輪になって

最後は腹黒ブラックホール行(笑)

「おわりに」の項目で語ることちゃうでしょ…。

今度は、ゆる〜いイラストでも描きますね!

では、今日はここまで…。

最後まで読んで頂きありがとうございました。